7 もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、
8 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。
9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。
10 そして、かつて栄光を受けたものは、この場合、さらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているからです。
11 もし消え去るべきものにも栄光があったのなら、永続するものには、なおさら栄光があるはずです。
12 このような望みを持っているので、私たちはきわめて大胆にふるまいます。
13 そして、モーセが、消えうせるものの最後をイスラエルの人々に見せないように、顔におおいを掛けたようなことはしません。
前回の箇所でパウロは、自らが新しい契約に仕える使徒であると主張しました。それを前提に、きょうの箇所では、新しい契約に仕える栄光について語っています。この箇所を読むと、あまりの感動に心が震えます。
内容を理解するためには、出エジプト記の背景を知っておく必要があります(パウロは、コリントのクリスチャンたちが、旧約聖書の内容を知っていることを前提にこの箇所を書いています。旧約聖書の知識なしには、新約聖書を十分に理解できないことを覚えましょう)。(1)モーセはシナイ山で石の板に書かれた十戒を受け取りました。(2)律法を受けてシナイ山を下りて来たモーセの顔は、光を放っていました(出エジプト記34:29~30)。(3)しかしモーセは、光を放つ顔に覆いをかけました(出エジプト記34:33)。それは、光が消えていくところを民に見せたくなかったからです。
以上のような出エジプト記の出来事を背景として、パウロは、新しい契約に仕える務めが古い契約に仕える務めと比べて、いかに素晴らしいかを説明しています。ここには、三つの対比があります。(1)モーセの務めは、石に刻まれた律法の条文(十戒)によって人を罪に定め、死を宣告するものであった。それに対して、新しい契約の務めは御霊の務めであり、人を義とし、命を与える務めである。(2)モーセの顔の光が消えていったことからわかるように、古い契約の栄光は一時的なものであった。それに対して、新しい契約の栄光は永続性のあるものである。(3)消え去る栄光を見られまいとして顔に覆いをかけたモーセの働きは、消極的であった。それに対して、新しい契約に仕えるキリストの弟子たちは、何かに覆いをかけるような消極的なことはしない。あらゆることにおいて、積極的に、大胆に奉仕をするのが新約時代の使徒たちである。
福音のメッセージを伝えることは、かくも栄光に満ちた奉仕です。あなたは、その栄光の召しを喜んで受け取っていましたか。黙想してみましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。イエス・キリストの福音を伝えることは、栄光に満ちた奉仕です。どうか私が、永遠に残る奉仕を続けることができますように、私を力づけてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
伝道者の書3~4、詩篇109~110
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