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創世記39:21~23

21 しかし、【主】はヨセフとともにおられ、彼に恵みをほどこし、監獄の長の心にかなうようにされた。

22 それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。

23 監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉かんしょうしなかった。それは【主】が彼とともにおられ、彼が何をしても、【主】がそれを成功させてくださったからである。

獄中のヨセフ

アブラハム契約の祝福

ヨセフは投獄されたが、獄中でもポティファルの家で起こったのと同じことが起こった。「【主】がヨセフとともにおられた」という表現が出て来る。さらに、「【主】(ヤハウェ)」という言葉が、21 節と23 節(2 回)に出て来る。
(1)ヨセフは監獄の長の信頼を得た。これは、ポティファルの家で起こったのと同じである。その結果、ヨセフはすべての囚人の世話を委ねられた。(2)この時のヨセフの状態を、詩篇105:18 ~19 は次のように描写びょうしゃしている。「彼らは足かせで、ヨセフの足をなやまし、ヨセフは鉄のかせの中に入った。彼のことばがそのとおりになる時まで、【主】のことばは彼をためした」。獄中でヨセフの信仰が試され、その過程で忍耐心が育てられた。(3)ヨセフを支えたものは、二つの夢と、【主】がともにおられるという確信であった。私たちに、そのような夢と確信があるだろうか。もし無いなら、神に願い求めよう。

キリストの型としてのヨセフ

ヨセフとキリストの間には、類似点が多くある。(1)イエス・キリストは、ローマ帝国に支配されていたユダヤに来られ、しもべとしての生涯しょうがいを歩まれた。そして、神はこの方とともにおられた(マタ1:23 参照)。イエスは、ローマ総督そうとくピラトの前でこう言われた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません」(ヨハ18:36)。(2)イエスはサタンの誘惑にあわれた。荒野での誘惑は、メシアとして受ける誘惑であった。もしその誘惑に乗るなら、神の計画は破壊される。サタンは、公生涯の間、何度もしつこくイエスに迫った。(3)イエスもまた、不当に非難された。まさに、イザヤ53:4 ~6 の預言にあるとおりである。
ヨセフに起こったことは、キリストにも起こる。そして、キリストに起こったことは、私たちにも起こる。つまり、ヨセフに起こったことは、私たちにも起こるということである。ヨセフの物語は、遠い昔の話ではなく、今を生きている私たちの物語である。試練にあったとき、次のことを思い起こそう。今の試練は、次に来ようとしている大きな祝福の序曲じょきょくである。それゆえ、弱り果てるのではなく、忍耐を学ぼう。ヨセフが私たちの手本である。主イエスが、私たちの教師である。

きょうの祈り

天の父なる神さま。今の状況がいかに苦しくても、あなたの約束を信じ続けます。どうか私にヨセフの忍耐心を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

サムエル記第二23~24、詩篇41 ~ 42

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