7 しかし、私は【主】を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の願いを聞いてくださる。
8 私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、【主】が私の光であるからだ。
9 私は【主】の激しい怒りを身に受けている。私が主に罪を犯したからだ。しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ。主は私を光に連れ出し、私はその義を見ることができる。
10 それで、私に向かい、「あなたの神、【主】は、どこにいるのか。」と言った私の敵は、これを見て恥に包まれる。私もこの目で敵をながめる。今、敵は道の泥のように踏みにじられる。
前回の個所で、預言者ミカは大いに嘆いていました。それは、大患難時代にイスラエルの民に下る苦難を見たからです。きょうの個所では、彼は「裁きの中にある希望」を見て慰めを受けています。(1)彼は、救いの希望を見ています。「しかし、私は【主】を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の願いを聞いてくださる」(7節)。この希望は、イスラエルの民の霊的、また肉体的救いに関するものです。つまり、イスラエルの民の民族的救いに関する希望です。(2)さらに彼は、やみの中(大患難時代)にあっても、そこに【主】の光があるという希望を見ています。(3)彼は、「私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、【主】が私の光であるからだ」と預言しています。「敵」という言葉は、ヘブル語では女性名詞の単数形です。これは、イスラエルのもろもろの敵をひとまとめにした集合名詞です。つまり、すべてのイスラエルの敵に向かって、「私のことで喜ぶな」と語っているのです。その理由は、イスラエルの民はやがて起き上がるからです。(4)さらにミカは、「私は【主】の激しい怒りを身に受けている。私が主に罪を犯したからだ。しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ」(9節)と語っています。イスラエルの民は、自らの罪のゆえに裁きが下っていることを認めるようになります。「激しい怒り」とは、大患難のことです。その裁きが終わる時が来ます。それは、イスラエルの救いの時です。「主は私を光に連れ出し、私はその義を見ることができる」とは、その救いの預言です。より具体的には、メシア再臨の預言です。
イスラエルの敵は、ついに恥に包まれます。彼らは、「あなたの神、【主】は、どこにいるのか」(10節)と豪語して来た者たちです。その時、「私もこの目で敵をながめる。今、敵は道の泥のように踏みにじられる」(10節)という預言が成就します。
詩篇79篇は、大患難時代の時のイスラエルの祈りを、詩的に表現したものです。イスラエルの敵は、「彼らの神はどこにいるのか」(10節)と言い、神の御名をあざけっています。イスラエルの民は、メシアの再臨を求めて祈ります。その祈りに答えてメシアが再臨され、イスラエルの敵を滅ぼされます。そこには、ミカ書7章と同じ内容が描かれています。
きょうの個所から、教訓を学びましょう。暗闇の中にも光があります。神はいつまでも怒ってはおられません。神の恵みによりすがることを学びましょう。イスラエルの民を呪う者はやがて恥を見るようになります。イスラエルの民を祝福する者は、神から祝福を受けるようになります。
きょうの祈り
イスラエルの神よ。暗闇の中を歩く時も、あなたの光が消え去ることはありません。きょうもあなたの恵みによりすがって歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
サムエル記第一2~3、箴言18
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