1 ところが、このことはヨナを非常に不愉快にさせた。ヨナは怒って、
2 主に祈って言った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。
3 主よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましですから。」
4 主は仰せられた。「あなたは当然のことのように怒るのか。」
ヨナの宣教は大成功を収めました。普通なら、大喜びし、主に感謝をささげるところです。しかし、ヨナはその結果を見て不愉快になりました。それどころか、怒りさえ感じたのです。(1)彼は、自分がなぜ初めタルシシュにのがれようとしたかを説明しています。それは、神が情け深くあわれみ深いので、きっとわざわいを思い直すにちがいないと感じていたからです。(2)次に彼は、死を願って祈っています。不従順のゆえに一度死んだ彼が、ここでは成功のゆえに再度死にたいと願っているのです。不可解なことです。
ヨナが腹を立てた理由はなんでしょうか。多くの学者が、ヨナは異邦人を嫌っていたからだと解説します。しかし、それだけでは説明が不十分であると思います。ヨナの時代、すでに預言者アモスが活動していました。彼は、イスラエルの民はアッシリヤによって滅ぼされると預言していました。もし、ヨナの宣教によってニネベが悔い改め、裁きを免れるなら、それはそのままイスラエルの滅びにつながります。ヨナは、「私がまだ国にいたときに」という言葉を使っています。その言い回しから、彼が愛国者であり、国粋主義者であったことがわかります。彼は、イスラエルを愛するあまり、そのイスラエルを滅ぼそうとしているニネベを救いたくはなかったのです。
神は怒っているヨナに対して、「あなたは当然のことのように怒るのか」と問いかけられました。ヨナ自身は、すでに神の恵みと赦しを味わっていました。それにもかかわらず、彼は、神がニネベの人たちを赦したことに我慢がならないのです。この怒りは不条理なものです。ヨナはその場でただちに裁かれても、何一つ文句は言えなかったはずです。しかし、神はそのヨナをなおも恵みによって扱い、彼自身の頭で考えるようにと、優しく「あなたは当然のことのように怒るのか」と問われたのです。
イエスもまた、パリサイ人たちから非難を浴びた時、こう語っておられます。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか」(ヨハネ10:32)。神がしておられる良いわざを喜ぶことができるクリスチャンにならせていただきましょう。自分の心が、神の愛で満たされるように祈りましょう。
きょうの祈り
天の父よ。どうか私の心を、裁きの思いではなく、愛の思いで満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
ヨシュア記1~2、ルカの福音書2
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