9 かなりの日数が経過しており、断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、
10 「 皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます」と言った。
11 しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。
12 また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった。
過去の経験に基づいて、パウロはこう進言した。「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます」。①これは神からの啓示ではなく、パウロの体験に基づく意見である。②彼は数度に及ぶ伝道旅行で、航海に関してはかなりの経験を積んでいた(彼は、11 ~ 12 回も船旅を経験し、少なくとも4,800 キロを船で移動した)。③ 2 コリント11:25 には、こう書かれている。「むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります」。4 回目の難船を避けたいと願うのは、当然である。
「しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった」。(1)百人隊長は、パウロの警告を無視した。人間的には当然の判断であろう。①海に関して、パウロは素人である。②そこで百人隊長は、専門家の航海士や船長の判断を採用したのである。③この種の穀物輸送船は、ローマ帝国の管理下に置かれていた。ローマ帝国のための仕事をしていると見なされたので、船の所有者と船長は、ローマの官憲の指示に従ったのである。(2)大多数の者の意見も、百人隊長と同じであった。①今停泊中の「良い港」は冬を越すのに適していない。② 80km 西にあるクレテの港ピニクスまで行き、そこで冬を過ごしたい。これが常識的な判断である。(3)しかし、専門家の判断が間違いで、パウロの判断が正しかったことは、後で明らかになる。専門家の意見が100%正しいと思ってはならない。
神の約束という羅針盤を与えられたパウロは、その船の中で際立った存在になった。彼には揺れ動くということがなかった。やがて明らかになるが、彼一人だけが絶望しなかった。彼の立場は囚人からリーダーに移行して行く。最初は、彼の意見は無視されたが、最後は全員が耳を傾けるようになる。羅針盤を持った人の最大の特権は、人々に仕えるということである。私たちも、神から与えられたみことばを、自分のためではなく、人々に仕えるために用いよう。きょうも、キリストのしもべとしてこの世に出て行こう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。あなたのみことばを、人々に仕えるために用いることができるよう導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
サムエル記第一22~23、使徒の働き1
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