9 かなりの日数が経過しており、断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、
10 「 皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます」と言った。
11 しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。
12 また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった。
今パウロは、カイザリヤからローマに向かっている(使27:1 ~ 28:15)。カイザリヤでの拘留は2 年にも及んだが、ローマに上るという彼の確信が揺らぐことはなかった。
ここまでで、カイザリヤからクレテ(クレタ)までの旅程を取り上げた。今船は、クレテの「良い港」から出帆しようとしている。
「かなりの日数が経過しており、断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、『皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます』と言った」。(1)船は、出帆すべきかどうかの判断を迫られた。一行は、天候が回復するのを「かなりの日数」待った。この間、パウロがクレテ島で伝道したかどうかは、分からない。しかし、ローマでの投獄から解放されて後、パウロがクレテで伝道したことは確かである。テトス1:5 には、こう書かれている。「私があなたをクレテに残したのは、あなたが残っている仕事の整理をし、また、私が指図したように、町ごとに長老たちを任命するためでした」。(2)パウロは、出帆に反対した。①当時の地中海航行の常識は、次のようなものであった。9 月14 日~ 11 月11 日までは航行が危険な時期である。11 月11 日から5 ヶ月間は冬の時期で、航行は完全にストップされた。②この時は、「断食の季節」を過ぎており、海が危険な状態になっていた。「断食の季節」とは「贖罪の日」のことで、9 月末から10 月初めにやって来る(レビ16:29 ~ 34 参照)。この日、大祭司は至聖所に入り、罪の贖いのためのいけにえの血をささげた。ユダヤ人たちは、それぞれの居住地において断食を行った。③贖罪の日は、メシアの贖いの死を予表する祭りである。
安全な航海のためには羅針盤が必要である。11 世紀末には、中国の船に羅針盤が装備されていたと言われている。それがヨーロッパに伝わって改良され,大航海時代の幕を開く契機となった。しかし、ローマ時代はまだ羅針盤は発明されていなかった。昼は陸地の景色が、夜は月や星がその代わりとなった。そのため嵐の中ではすべての羅針盤が奪われた状態になるが、パウロには羅針盤があった。ローマに行くという神の約束が、彼の羅針盤であった。人生における羅針盤は、神のことばである。きょうも、この羅針盤に導かれて前進しようではないか。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私の人生における羅針盤は、あなたのみことばです。どうか、きょうも、みことばによって導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
サムエル記第一20~21、ルカの福音書24
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