1 私は、祭壇のかたわらに立っておられる主を見た。主は仰せられた。「柱頭を打って、敷居が震えるようにせよ。そのすべてを頭上で打ち砕け。わたしは彼らの残った者を、剣で殺す。彼らのうち、ひとりも逃げる者はなく、のがれる者もない。
2 彼らが、よみに入り込んでも、わたしの手はそこから彼らを引き出し、彼らが天に上っても、わたしはそこから彼らを引き降ろす。
3 彼らがカルメルの頂に身を隠しても、わたしは捜して、そこから彼らを捕らえ出し、彼らがわたしの目を避けて海の底に身を隠しても、わたしは蛇に命じて、そこで彼らをかませる。
4 もし、彼らが敵のとりことなって行っても、わたしは剣に命じて、その所で彼らを殺させる。わたしはこの目で彼らを見る。それは、わざわいのためで、幸いのためではない。」
第五の幻は、「祭壇のかたわらに立つ主」の幻です。この幻は、裁きがすべての民に徹底的に下ることを預言したものです。
(1)「祭壇」とは、ベテルに建っていた主の宮の中の祭壇です。その祭壇には、アモスに挑戦した祭司アマツヤが仕えていました。(2)その祭壇のかたわらに主が立たれ、こう言われました。「柱頭を打って、敷居が震えるようにせよ。そのすべてを頭上で打ち砕け」。これは、偶像礼拝に対するきびしい裁きです。(3)柱頭を打ち砕くと、宮の敷居が震え、建物全体が崩壊します。その建物がすべての者の上に崩れ落ちるようにせよというのが、主の命令です(サムソンがペリシテ人の神殿を破壊した記事を参照。士師記16:23~30)。(4)これが最初の災難ですが、それをのがれた者も、すべて最後は滅ぼされます。(5)よみにも、天にも、彼らののがれの場はありません。(6)また、山の上にも、海の底にも、彼らの隠れ場はありません。(7)さらに、彼らが捕囚の民となって引かれて行っても、彼らは剣で滅ぼされます。
主は全能の神、偏在の神、全知の神です。それゆえ、裁きをのがれようとする彼らの努力は、無に帰するのです。
この箇所で、主は恵みの座を離れて、裁きの座に着かれました。主がご自身の義に基づいて罪人を裁かれる時、私たちには逃げ場がありません。ダビデは、詩篇139篇でこう告白しています。「 たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます。たとい私が『おお、やみよ。私をおおえ。私の回りの光よ。夜となれ』と言っても、あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです」
人は、神からのがれることはできないのです。それゆえ、最後は神に信頼するしか方法はないのです。ダビデも最後にこう告白しています。「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください」。この告白が、私たちの告白となりますように。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。どうか私をあなたの義の道へと導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
申命記3~4、マタイの福音書18
ハーベスト・タイムによる無料の聖書講解動画(音声)サイト。
毎朝6時にきょうの【クレイ】が
あなたのLINEに届きます!