9 その日には、─神である主の御告げ─わたしは真昼に太陽を沈ませ、日盛りに地を暗くし、
10 あなたがたの祭りを喪に変え、あなたがたのすべての歌を哀歌に変え、すべての腰に荒布をまとわせ、すべての人の頭をそらせ、その日を、ひとり子を失ったときの喪のようにし、その終わりを苦い日のようにする。
11 見よ。その日が来る。─神である主の御告げ─その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。
12 彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。
13 その日には、美しい若い女も、若い男も、渇きのために衰え果てる。
14 サマリヤの罪過にかけて誓い、『ダンよ。あなたの神は生きている』と言い、『ベエル・シェバの道は生きている』と言う者は、倒れて、二度と起き上がれない。」
「夏のくだものの幻」の続きです。この幻は、迫り来る神の裁きを象徴していました。きょうの箇所では、三つの裁きが語られています。
(1)暗黒の日が来ようとしています(9~10 節)。「その日(主の日)」とは、主の裁きの日のことです。その日になると、昼間に太陽は沈み、イスラエルの地は暗黒に覆われます。また、祭りは喪に、喜びの歌は哀歌に、祭りの衣装は荒布の喪服に変えられます。
(2)さらに深刻なのは、神のことばのききんが来ることです。それは、どこに行っても神の啓示がない状態、すなわち「主のことばを聞くことのききん」です。申命記8:3 には、「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる」とあります。神のことばがないということは、人間存在の根源である「生命の泉」が枯渇しているということです。人々は、主のことばを告げてくれる預言者を求めて、あちこち探し回りますが、その努力は徒労に終わります。
(3)偶像礼拝に対しても、神の裁きが下ります。その日には、国の活力の中心である青年男女が、偽りの宗教の罠にかかって滅びます。青年たちが滅びる国には、将来の希望はありません。この裁きは、偶像礼拝に対して下るものです。14節は、偶像礼拝の空虚さを教えています。サマリヤの偶像(アシマ)も、ダンの偶像も、ベエル・シェバの偶像も、民の渇きを満たすことはできません。無力な偶像は、沈黙するしかないのです。
私たち異邦人は、救われる前は「神のことばを知らない民」でした。そのころの私たちの霊的状態は、絶望的なものでした。「そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした」(エペソ2:12)とあるとおりです。キリストの福音を知らされたことは、なんという幸いでしょうか。今、自分が幸いな人にされていることを思い、主に感謝をささげましょう。また、神のことばを熱心に求めましょう。「主のことばを聞くことのききん」が、この国を襲うことのないように、主のあわれみを求めましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。あなたのことばは、私を生かすいのちの源泉です。どうか、「主のことばを聞くことのききん」が、この国を襲うことがありませんように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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