7 主は私にこのように示された。見よ。主は手に重りなわを持ち、重りなわで築かれた城壁の上に立っておられた。
8 主は私に仰せられた。「アモス。何を見ているのか。」私が「重りなわです」と言うと、主は仰せられた。「見よ。わたしは重りなわを、わたしの民イスラエルの真ん中に垂れ下げよう。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。
9 イサクの高き所は荒らされ、イスラエルの聖所は廃墟となる。わたしは剣をもって、ヤロブアムの家に立ち向かう。」
アモスが見た第三の幻は、重りなわの幻でした。前二回の幻の場合は、アモスのとりなしの祈りが聞き届けられました。第三の幻は、アモスに、もはやとりなしは無効であることを教えようとするものです。その理由は、北王国の罪が取り返しのつかない領域にまで進んだからです。
(1)アモスは、主が手に重りなわを持ち、サマリヤの城壁の上に立っておられるのを見ます。「重りなわ」とは、城壁が垂直に立っているかどうかを調べるための大工道具です。(2)ここでは、重りなわは建築のためではなく、イスラエルの民の霊的状態を検査するために用いられています。それが、「見よ。わたしは重りなわを、わたしの民イスラエルの真ん中に垂れ下げよう」という言葉の意味です。(3)重りなわで検査された結果、イスラエルの民の霊的状態が曲がっている(傾いている)ことが明らかになります。民は、自分たちが主の契約の民であることを忘れ、罪の道を歩き続けていました。(4)そこで神は、「わたしはもう二度と彼らを見過ごさない」と宣言されます。
この幻では、アモスのとりなしの祈りも、裁きを取り除くという約束もありません。それほど、イスラエルの民の罪は重かったのです。(1)ここに至って、神の忍耐は尽き果てました。イスラエルを襲う惨禍は、避けがたいものとなりました。(2)「イサクの高き所」とは、ベエル・シェバの古聖所を含む、丘の上に立てられた数々の祭壇のことです。イサクは、主を礼拝するために、ベエル・シェバに祭壇を築きました(創世記26:25)。イスラエルの民は、それを真似て丘の上に数々の祭壇を築きましたが、それらのものは偶像礼拝の場となりました。それらの祭壇はすべて、荒廃します。(3)「イスラエルの聖所」とは、金の子牛を拝むためにダンとベテルに建てられた神殿のことです。それらの神殿は、廃墟となります。(4)「ヤロブアムの家」とは、イスラエルの王朝のことです。北王国は、戦争によって崩壊します。
主の恵みを当然のことと考えるのは、危険なことです。いつか、神の忍耐が尽きる時がやってきます。それゆえ、使徒パウロは私たちにこう教えているのです。「私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた』。確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(Ⅱコリント6:1~2)。あなたは、今という時を生かしていますか。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。今という時を生かして、あなたの恵みに応答することができますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
民数記29~30、マタイの福音書15
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