6 わたしもまた、あなたがたのあらゆる町で、あなたがたの歯をきれいにしておき、あなたがたのすべての場所で、パンに欠乏させた。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。─主の御告げ─
7 わたしはまた、刈り入れまでなお三か月あるのに、あなたがたには雨をとどめ、一つの町には雨を降らせ、他の町には雨を降らせなかった。一つの畑には雨が降り、雨の降らなかった他の畑はかわききった。
8 二、三の町は水を飲むために一つの町によろめいて行ったが、満ち足りることはなかった。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。─主の御告げ─
9 わたしは立ち枯れと黒穂病で、あなたがたを打った。あなたがたの果樹園とぶどう畑、いちじくの木とオリーブの木がふえても、かみつくいなごが食い荒らした。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。─主の御告げ─
10 わたしは、エジプトにしたように、疫病をあなたがたに送り、剣であなたがたの若者たちを殺し、あなたがたの馬を奪い去り、あなたがたの陣営に悪臭を上らせ、あなたがたの鼻をつかせた。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。─主の御告げ─
11 わたしは、あなたがたをくつがえした。神がソドムとゴモラをくつがえしたように。あなたがたは炎の中から取り出された燃えさしのようであった。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。─主の御告げ─
12 それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。
13 見よ。山々を造り、風を造り出し、人にその思いが何であるかを告げ、暁と暗やみを造り、地の高い所を歩まれる方、その名は万軍の神、主。
きょうの箇所は、「このことばを聞け」で始まる裁きの預言(2)の後半です。前回は、「貧者を苦しめた罪」と、「偶像礼拝の罪」が指摘されました。ここでは、「主からの教訓を学ばない罪」が糾弾されます。「それでも、あなたがたは、わたしのもとに帰って来なかった」という言葉が、5回も出てきます(6、8、9、10、11)。
(1)神はイスラエルの民を飢饉で打たれました(6節)。「あなたがたの歯をきれいにしておき」とは、食べる物がない状態を指します。それでも、民は教訓を学ぼうとはしませんでした。(2)次に神は、雨をとどめました(7、8節)。刈り入れ前に降る雨は、収穫のためには必要不可欠なものでしたが、それがとどめられました。また、雨が降ったとしても、それはいびつな降り方をしました。主が天候を支配しておられたからです。それでも、民は教訓を学ぼうとはしませんでした。(3)さらに神は、自然の災害を送られました(9節)。立ち枯れ、黒穂病、いなごの襲来などがそれです。それでも、民は教訓を学ぼうとはしませんでした。(4)神はエジプトにしたように、イスラエルの民を疫病と敵の剣で打たれましたが、それでも、民は教訓を学ぼうとはしませんでした。(5)最後に神は、イスラエルの民を打ち、ソドムとゴモラのようにされました。そのため、イスラエルは「炎の中から取り出された燃えさし」のようになりました。それでも、民は教訓を学ぼうとはしませんでした。
「それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった」ということばがくり返されています。そこには、神の痛みと悲しみが表現されています。神がご自身の民を裁く時、喜んでそれを行っておられるわけではないのです。神はすべての手を尽くし、イスラエルの民をご自身のもとに呼び戻そうとされましたが、そのすべてがむだに終わりました。それゆえ、裁きが下ります(12~ 13節)。それは、前722~ 721年に起こるアッシリヤ捕囚です。
神はあなたにどのように語りかけておられますか。神の恵みをむだにしてはなりません。もし私たちに裁きが下るとしたら、それはすべて私たちの責任です。なぜなら、神は御子イエスを犠牲にするほどに、私たちを愛し、できることはすべてしてくださったからです。もう一度、この有名な聖句を思い出しましょう。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)。
きょうの祈り
天の父なる神さま。これほどまでに私を愛してくださり、感謝します。今あなたのもとに立ち返ります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
民数記17~18、詩篇19~20
ハーベスト・タイムによる無料の聖書講解動画(音声)サイト。
最新のメッセージ
毎朝6時にきょうの【クレイ】が
あなたのLINEに届きます!