1 聞け。このことばを。サマリヤの山にいるバシャンの雌牛ども。彼女らは弱い者たちをしいたげ、貧しい者たちを迫害し、自分の主人たちに、「何か持って来て、飲ませよ」と言う。
2 神である主は、ご自分の聖にかけて誓われた。見よ。その日があなたがたの上にやって来る。その日、彼らはあなたがたを釣り針にかけ、あなたがたを最後のひとりまで、もりにかけて引いて行く。
3 あなたがたはみな、城壁の破れ口からまっすぐ出て行き、ハルモンは投げ出される。─主の御告げ─
4 ベテルへ行って、そむけ。ギルガルへ行って、ますますそむけ。朝ごとにいけにえをささげ、三日ごとに十分の一のささげ物をささげよ。
5 感謝のささげ物として、種を入れたパンを焼き、進んでささげるささげ物を布告し、ふれ知らせよ。イスラエルの子ら。あなたがたはそうすることを好んでいる。─神である主の御告げ─
きょうの箇所は、「このことばを聞け」で始まる裁きの預言(2)の前半です。1節に、「聞け。このことばを」とあります。
ここで語られる最初の罪は、貧者を苦しめ搾取している罪です。(1)首謀者は、富んだ夫人たちです。アモスは彼らのことを、「サマリヤの山にいるバシャンの雌牛ども」と呼んでいます。バシャンの雌牛とは、バシャン(現在のゴラン高原)で飼育されていた肥えた牛のことです。これは、ほめ言葉ではなく、見下した言葉です。富んだ夫人たちは、富の中でぬくぬくと安逸をむさぼっていたのです。(2)その夫人たちは自分たちの夫に、貧しい人たちから何か奪ってくるようにせがみます。貧者から奪った富によって、贅沢な生活を続けるためです。(3)聖なる神は、このような悪行を見過ごしにすることはできません。やがてアッシリヤがやって来て、彼女たちやその夫たちを、最後のひとりまで釣り針や、もりにかけて、捕囚に引いて行くようになります。
次に糾弾されるのが、偶像礼拝の罪です。(1)ベテルとギルガル(ベテルから少し北にある町)の名があげられていますが、ともに偶像礼拝の町でした。(2)「朝ごとにいけにえをささげ、三日ごとに十分の一のささげ物をささげよ。感謝のささげ物として、種を入れたパンを焼き、進んでささげるささげ物を布告し、ふれ知らせよ」とあります。以上のことはすべてモーセの律法にかなったささげ物です。イスラエルの民の罪は、それらのささげ物を、主に対してではなく、偶像に対してささげているところにあります。
イスラエルの民は、表面的には信仰深く振る舞いながら、その実、真の信仰からは程遠いところにいたのです。イエスの時代にもそのような人たちがいました。主イエスはこう語られました。「偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから』」(マタイ15:7~9)。私たちの心と行動とが一致しているかどうか、吟味しましょう。神は私たちの心を見ておられます。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。どうか私が真実な信仰に生きることができますように、私を励ましてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
民数記15~16、マタイの福音書10
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