18 主はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民をあわれまれた。
19 主は民に答えて仰せられた。「今、わたしは穀物と新しいぶどう酒と油とをあなたがたに送る。あなたがたは、それで満足する。わたしは、二度とあなたがたを、諸国の民の間で、そしりとしない。
20 わたしは北から来るものを、あなたがたから遠ざけ、それを荒廃した砂漠の地へ追いやり、その前衛を東の海に、その後衛を西の海に追いやる。その悪臭が立ち上り、その腐ったにおいが立ち上る。主が大いなることをしたからだ。」
18節には、「主はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民をあわれまれた」とあります。この聖句から、いくつかのことを学んでみましょう。(1)主はイスラエルの地、特にエルサレムを愛しておられます。このことは、ゼカリヤ書1:14、8:2 にも記されています。(2)その愛は、ねたむほどのものです。神が「ねたみの神」であることは、出エジプト記34:14 に記されています。「あなたはほかの神を拝んではならないからである。その名がねたみである主は、ねたむ神であるから」(エゼキエル書39:25 も参照)。(3)イスラエルの地とイスラエルの民とは非常に近い関係にあります。18節がヘブル的並列法で書かれていることを考えると、その関係がいかに近いかがさらにわかります。イスラエルの地をねたむほどに愛される神は、イスラエルの民をもあわれまれます。つまり、イスラエルの民の多くが殺されても、彼らが全滅することは決してないということです。
主イエスがサマリヤの女に語った次の言葉を根拠に、エルサレムの重要性は過ぎ去ったと考える人もいます。「あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます」(ヨハネ4:21)。しかし、聖書預言によれば、終末時代には再びエルサレムが中心になって神のドラマが展開していくのです。
20節には、「北から来るもの」という表現があります。これは第三の侵入のことで、人間の軍隊による侵入です。(1)北からの軍勢がイスラエルの地に向かって攻めて来ると、最後の戦いであるハルマゲドンの戦いが始まります。(2)しかし、神の力によってイスラエルは滅亡を免れます。北から攻めて来た敵の軍勢は、その多くがネゲブ砂漠(イスラエル南部の地域)で死にます。また、残りの者たちは死海(東の海)や地中海(西の海)に追いやられます。(3)殺された者たちの悪臭が付近一帯に立ち上ります。これは、敵が大いなる悪を行ったことのしるしとなります。
神がイスラエルの民に向けた「ねたむほどの愛」は、イエス・キリストにあって私たちにも向けられています。ヤコブはこう語っています。「それとも、『神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる』という聖書のことばが、無意味だと思うのですか」(ヤコブ4:5)。つまり、神の愛を受け入れた者は、神に従順に歩みなさいということです。そうすれば、悪魔も私たちから逃げ去らざるを得なくなります。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。ねたむほどの愛をもってこの私を愛してくださり、感謝します。きょうも従順な歩みをすることができますように、私を励ましてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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