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ホセア書1:2~3

2 主がホセアに語り始められたとき、主はホセアに仰せられた。「行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ。この国は主を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ。」

3 そこで彼は行って、ディブライムの娘ゴメルをめとった。彼女はみごもって、彼に男の子を産んだ。

預言者としての召命

最初の命令

預言者は神からの召命によって、その活動を開始します。ホセアもまた主からの召命のことばによって預言者として立つのですが、彼の場合は、その冒頭に、前例のない異常な命令を受けています。
(1)「行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ」。「姦淫の女」とは、娼婦のことだと考えられます。レビ記21:7、14を根拠に、「ホセアが娼婦と結婚することはない。それはモーセの律法に反することであるから」と主張する人もいます。しかし、レビ記のその規定は、祭司階級に対するものです。ホセアは祭司ではありません。(2)「姦淫の子ら」というのは、娼婦時代にその女が産んだ子どもたちのことです。父親がだれかもわからない子どもたちです。(3)以上のことから、ホセアの結婚は非常に不幸なものであったことがわかります。その不幸な体験を通して、ホセアは神からの預言のことばを語っていくのです。(4)さらに、「この国は主を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ」という主のことばが続きます。このことばによって、ホセアの結婚生活はイスラエルの民に対する視聴覚教育であることがわかります。「姦淫の女」とはイスラエルの民のことであり、「姦淫の子ら」とは民の中のそれぞれの個人であることが、徐々に明らかになってきます。

妻ゴメル

(1)ホセアは神の命令に従順に、「姦淫の女」をめとります。どういう思いで、結婚に踏み切ったのでしょうか。考えただけでも、胸が痛みます。(2)その女は「ディブライムの娘ゴメル」でした。「ディブライム」とは干しいちじくの菓子のことですが、それは「肉欲」を象徴する言葉でもあります。「ゴメル」は「完成」とか「完全」を意味する言葉です。つまり、「ディブライムの娘ゴメル」とは「肉欲の極み」を象徴した言葉なのです。(3)ゴメルはみごもって、ホセアに男の子を産みます。ホセアはその子に名前をつけますが、それが預言的な名となるのです(その内容は、次回学びます)。
信仰生活における献身と痛みについて黙想してみましょう。神の御心に従っているがゆえに体験する試練や痛みというものがあります。そのような試練や痛みは、私たちを破壊するものではなく、私たちをより神に近づけるものです。「もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊みたま、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです」(ペテロ4:14)。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。信仰のゆえに苦難に会っている兄弟姉妹たちを守り、祝福してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

創世記15~16、マルコの福音書6