39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。
40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
今日の箇所は、ルカの福音書にのみ出てきます。この場面を思い浮かべてください。三本の十字架を囲んで、ローマ兵がいます。イエスを十字架につけろと叫ぶユダヤ人たちがいます。泣き叫ぶ女たちがいます。傍観者として眺めている民衆がいます。そして、イエスの両側で、十字架につけられたふたりの犯罪人がいます。これらの人々の人間模様を眺めていると、人間の罪の深みが見えてくるようです。十字架につけられた犯罪人のひとりは、イエスを罵倒し、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と言いました。彼は、理由があって十字架につけられているのです。彼は、悲惨な最期を迎えながら、なおも罪に罪を重ねようとしています。彼の姿を見ていると、人はさばきに会ったからといって、必ずしも悔い改めるものではないということがわかります。聖書は、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ人への手紙3:23~24)と教えています。あなたは、人間の罪の性質を過小評価していませんか。もしそうなら、イエスの十字架に対する感謝も、そこそこで止まっているはずです。価なしに義と認められることが、どんなにすばらしいことか、黙想してみましょう。
もうひとりの犯罪人は、イエスにこう語りかけます。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」この犯罪人は、人生の最後の段階で、我に返ったのです。我に返ると、イエスの真実な姿が見え始めました。彼の心に、にわかにイエスに対する信仰が生まれ、祈りがその口からあふれ出しました。イエスは彼に、「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と約束してくださいました。ここに、神の愛の深さが現われています。どんな人であっても、真実に悔い改めの祈りをするなら、神の赦しを受けることができます。彼は、臨終の場でイエスを信じて天に帰るすべての聖徒たちの先駆けとなりました。あなたは、臨終の場でイエスを信じればよいと考えていますか。若い日にイエスを信じ、イエスとともに歩む人生を送った方がさらにすばらしいことは、言うまでもありません。
きょうの祈り
恵み深い神よ。あなたの愛の深さに、心から感謝します。あなたに従うことを一日延ばしにするのでなく、今日という日に、よい決断ができますように、私を励ましてください。人生の最高の部分を、神の栄光のためにささげることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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歴代誌 第二35~36、ヨハネの黙示録22
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