39 それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。
40 いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。
41 そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。
42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
43 すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。
44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
45 イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。
46 それで、彼らに言われた。「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」
ルカは、この場所が「ゲッセマネの園」であったことや、イエスがペテロ、ヤコブ、ヨハネをそばに呼び寄せておられたことなどは書いていません。また、三度に及んだイエスの祈りも、一度に集約されています。しかし、ルカだけにしかない記述もあります。「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」なぜイエスは、こうまで苦しまれたのでしょうか。その理由は、肉体的なものと言うよりは、むしろ霊的なものです。イエスは、父なる神から切り離され(マルコの福音書15:34参照)、罪人のひとりに数えられようとしていたのです(コリント人への手紙第二5:21参照)。ゲッセマネの園での祈りは、非常に重要です。ここでイエスは、「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」と祈られました。イエスはここで、「怒りの杯」を飲んだわけではありませんが、それを飲む決断をされました。ゲッセマネの園こそ、実際の戦いがくり広げられた戦場だったのです。イエスが、自分の身の安全よりも、父なる神のみこころがなることを優先されたときに、勝利は確定しました。私たち自身の戦いを振り返ってみましょう。父なる神のみこころよりも自分の意志を優先させたときに、必ず失敗してきたではありませんか。今、私たちのために血の汗を流して祈ってくださった主イエスを礼拝し、みこころがなりますようにと、祈りましょう。
イエスは弟子たちに二度、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」とお語りになりました。ここに、ルカの強調点があります。弟子たちは、イエスが通過している苦悶に関して無感覚でした。イエスとともに、また、イエスのために祈ることを忘れ、眠りこけていました。彼らは、一回目の試みに失敗したのです。しかし、さらに大きな試練が彼らを襲おうとしていました。イエスは、「次は失敗しないように、しっかり祈りなさい。」と彼らに警告をお与えになったのです。あなたは、過去の失敗にとらわれて、気分が沈んでいませんか。イエスの十字架を見上げましょう。そして、「次は失敗しないように、しっかり祈りなさい。」と語っておられるイエスの声に耳を傾けましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神よ。イエスが自ら進んで犠牲の供え物となってくださったことを感謝します。どうか、「しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」という祈りが、私の祈りとなりますように、お助けください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
歴代誌 第二19~20、ヨハネの黙示録16
ハーベスト・タイムによる無料の聖書講解動画(音声)サイト。
最新のメッセージ
毎朝6時にきょうの【クレイ】が
あなたのLINEに届きます!