14 さて時間になって、イエスは食卓に着かれ、使徒たちもイエスといっしょに席に着いた。
15 イエスは言われた。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。
16 あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません。」
17 そしてイエスは、杯を取り、感謝をささげて後、言われた。「これを取って、互いに分けて飲みなさい。
18 あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
19 それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」
20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
最後の晩餐に関して、少なくとも次の三つの点に注目しておきましょう。(1)イエスは、ご自分の死を、過越の祭りという文脈の中に位置づけようとなさいました。それによって、ご自分の死が、神の民に解放をもたらすものであることを教えようとされたのです。(2)その解放とは、物理的なものではなく、霊的なものです。イエスの死は、イザヤ書53:12のような聖句に照らし合わせて、初めて理解されるものです。「彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。」(3)そして、イエスがもたらした解放のわざ(過越)は、すでに成就していると同時に、やがていつの日か、神の国で完璧な成就を見るようになります。それゆえイエスは、「あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません。」とお語りになったのです。最後の晩餐は、和解の食事でもあります。あなたには、神と和解したという確信がありますか。「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ人への手紙5:1)。この聖句を受け入れましょう。
パンとぶどう酒は、イエスのからだと血とを象徴していますが、それはまた、「新しい契約」のしるしでもあります。「新しい契約」とは、旧約聖書で預言されていた概念です。エレミヤは、次のように語っています。「その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。」(エレミヤ書31:31~33)。イエスを信じたのなら、あなたには、次のことが起こりました。(1)あなたは、神との新しい契約関係に入れられました。救いとは、神との契約です。ですから安心です。(2)あなたの心に、聖霊が与えられました。「彼らの心にこれを書きしるす。」とは、そのことを意味しています。「契約」と「心に書かれた律法」、この二つがクリスチャン生活のキーワードです。このキーワードを意識しながら、今日一日過ごしてみましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神よ。救いは契約であることを確認することができ、感謝します。私の心には、聖霊の語りかけが与えられています。聖霊の声を消すことのありませんように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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