25 そして、日と月と星には、前兆が現れ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、
26 人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。
27 そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
28 これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」
話題は、エルサレム崩壊の預言から、世の終わりの兆候に移ります。25~26節のことばは難解です。黙示文学では、このような表現がよく用いられます。その意味するところは、突然、激しい変化が起こり、新しい世界の秩序が到来するということです。その時こそ、「人の子」(27節)が、栄光の姿をもって地上に再臨する時です。旧約聖書には、メシヤの来臨に関する二つの異なった預言があります。(1)最初は、イザヤ書53章にあるような、苦難のしもべとしてのメシヤ像。(2)次に、ダニエル書7:13にあるような、「天の雲に乗ってくる人の子のような方」というメシヤ像。ユダヤ人たちは、最初のメシヤ像は退け、第二のメシヤ像は受け入れていました。彼らが十字架のイエスにつまずいたのも当然と言えます。イエスが十字架にかけられる時は近づいていましたが、イエス自身は、十字架を通り越して、その先に来る世の終わりの前兆と、ご自身の再臨について弟子たちにお話しになりました。あなたは、十字架を信じたところで留まっていませんか。激動の時代を生き抜くためには、聖書的歴史観を身につける必要があります。世界の歴史は、イエスが預言されたとおりの方向に進んでいます。
イエスは、「これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」(28節)とお語りになりました。「贖い」ということばには、買い取る、身の代金を払って身受けするという意味があります。それが転じて、このことばは、束縛や捕われの状態からの解放を意味するようになりました。私たちは、イエスの十字架によって、(1)律法から贖われ、また、(2)罪からも贖われました。これは、現実に私たちに与えられている祝福です。しかし、その贖いの事実の完成は、イエスの再臨を待たねばなりません。そのとき、私たちが「神のすがた」に似せて造られているということがどういうことか、また、アダムにあって失い、キリストにあって回復された神の子としての特権が、どんなにすばらしいものであるかを知るようになります。あなたのクリスチャン生活は、マンネリ化していませんでしたか。イエス・キリストの十字架によってすでに贖われているという事実に感謝すると同時に、その贖いが、私たちの想像もつかないような形に完成させられることを信じ、待ち望みましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神よ。私はすでに贖われました。そのことを感謝します。と同時に、その贖いが、主イエスの再臨のときに完成することを信じ、それを待ち望みます。どうか私の信仰がマンネリ化することのないように、日々新しい発見をお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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歴代誌 第二5~6、ヨハネの黙示録11
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