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ルカの福音書21:1~4

1 さてイエスが、目を上げてご覧になると、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れていた。

2 また、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。

3 それでイエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。

4 みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」

貧しいやもめの献金

人間の目

イエスは、神殿の中で人々が献金をささげている様子をご覧になりました。婦人の庭と呼ばれた所に、トランペットの形をした13の献金箱が置かれており、各々の箱には、献金の使用目的が記されてありました。金持ちたちが献金を投げ入れていました。多額の献金をささげる者もいたことでしょう。そのそばに、一人のやもめが近づいてきました。当時のユダヤでは、やもめが生計を立てるのは非常に困難で、「やもめ」ということば自体が、極貧を意味するほどでした。金持ちと、このやもめの姿は、対照的です。その彼女が、レプタ銅貨二枚を投げ入れました。レプタというのは、ユダヤの貨幣の中では最小単位のものです。マルコの福音書に並行記事がありますが、そこでは、ローマ人(異邦人)の読者のことを考え、「それ(レプタ二枚)は、1コドラントに当たる。」との説明が挿入されています(マルコの福音書1242)。当時のローマの銭湯の入浴料は、1コドラントであったと言われていますから、おおよそ見当がつきます。聖書注解者の中には、レプタ二枚は、献金として許される最小の額であったと主張する人もいます。彼女の献金額を横目で見ながら、「フン!」とつぶやいている金持ちの姿が目に浮かぶようです。

イエスの目

イエスは、人間の評価とは別の評価を下されました。「この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」(3~4節)。「どの人よりもたくさん」ということばを直訳すると、「全員の献金額を総計したものよりもたくさん」となります。イエスは、献金した額よりも、献金した後に残った額を問題にされたのです。その視点から言うと、やもめの献金は、最も犠牲的な献金であったことになります。すべてをささげた彼女は、その日の夕食をどうしたのでしょうか。聖書には、何も書かれていません。しかし、隣の人が、温かいパンとスープを運んでくれたと思いたいです。あわれみ深い天の父は、そのように貧しい者を省みてくださる方ですから。物事を評価する際、複視眼的な視点を持つことは、大切なことです。単に表面だけで判断するのではなく、イエスさまならこれをどう評価されるだろうかという視点を絶えず持つことです。今日一日、イエスの視点を意識しながら過ごしてみましょう。

きょうの祈り

天の父なる神さま。表面的にしか物事を判断してこなかったことが多くあります。お赦しください。イエスさまの視点で物事を見るということは、なんとすばらしいことでしょうか。どうか私を、新しい価値基準で生きる者と変えてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

歴代誌 第一26~27、ヨハネの黙示録9

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