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ルカの福音書19:45~48

45 宮に入られたイエスは、商売人たちを追い出し始め、

46 こう言われた。「『わたしの家は、祈りの家でなければならない』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」

47 イエスは毎日、宮で教えておられた。祭司長、律法学者、民のおもだった者たちは、イエスを殺そうとねらっていたが、

48 どうしてよいかわからなかった。民衆がみな、熱心にイエスの話に耳を傾けていたからである。

宮きよめ

激怒するイエス

イエスは、神殿で行なわれている出来事を見て、激怒されました。その理由を理解するために、次の二つの聖句に目を留めておきましょう。最初は、イザヤ書56:7です。「わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。」この聖句から、本来あるべき神の宮の姿が見えてきます。それは、「すべての民の祈りの家」であるべきなのです。次は、エレミヤ書7:11です。「わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目には強盗の巣と見えたのか。そうだ。わたしにも、そう見えていた。――主の御告げ。――」この聖句から、預言者エレミヤの時代には、神の宮が悪用されていたことがわかります。イエスは、エレミヤが見たのと同じような忌むべきことを神の宮の中で見て、激怒されました。(1)神殿内で通用する貨幣は、ユダヤのシェケルだけでした。世界各地から神を礼拝するためにエルサレムに上ってきたユダヤ人たちは、両替人に高い手数料を払わねばなりませんでした。(2)いけにえの動物は、高い値段で神殿内で売られていました。これらの商売を仕切り、甘い汁を吸っていた元凶は、祭司階級です。彼らは、礼拝と祈りを商売に変えていたのです。

的を外した民

神は、イスラエルの民に、「祭司の王国」(出エジプト記19:6)になるという使命をお与えになりました。彼らの役割は、仲介者として神と人との間に立つこと、また、神に従う民がいかに祝されるかを諸国民に示すこと、などでした。旧約聖書には、異邦人たちが、主のみおしえを聞くために、シオン(エルサレム)に上ってくるという預言がたくさんあります(ミカ書4章など)。イスラエルの民には、大いなる特権が与えられました。しかし、特権には義務が伴ないます。彼らは、その義務がなんであるかを忘れ、自己中心的に生きる民、的を外した民となってしまいました。イエスは、宮きよめを行ない、そこで民衆に教えることによって、神の民を本来あるべき姿に戻そうとされました。あなたは、イエス・キリストを信じ、クリスチャンになったことを喜んでいますか。では、クリスチャンの使命は、神の栄光を表わすことであるということを知っていましたか。信仰が、自己中心的なものになっていませんでしたか。今、聖霊によって、心をきよめていただきましょう。

きょうの祈り

天の父なる神さま。私の心をきよめてください。私を、聖霊の宮にふさわしい姿に変えてください。私の存在が、そのまま天の神の栄光を表わすものとなりますように、心から願います。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

歴代誌 第一14~15、ヨハネの黙示録5