41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、
42 言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。
43 やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、
44 そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」
エルサレムを見たイエスは、涙されました。「泣いて」と訳されていることばは、「大声を上げて泣いて」とも訳せます。イエスがこうまで嘆かれた理由は、何でしょうか。(1)第一の理由は、エルサレムの住民を始めとするユダヤ人たちが、神が提供してくださったすばらしい機会を逸したからです。そのことをイエスは、「それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」(44節)と表現されました。メシヤであるイエスにあって神は、イスラエルの民を訪れ、神の国をもたらしてくださいました。しかし彼らは、メシヤであるイエスを拒否しました。(2)第二の理由は、メシヤを拒否した結果、彼らはその罪の刈り取りをするようになるからです。43、44節で、紀元70年に起こるローマ軍によるエルサレム攻略の預言がなされます。「おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。」(44節)との表現によって、エルサレムが完全に滅ぼされてしまうことがわかります。イエスがエルサレムに入城されたとき、群集は喜び、パリサイ人や律法学者たちは不快感を表明しました。しかしイエスは、そのような人間の思いとは全く異なった次元で、将来を見通して号泣されたのです。あなたは、世間の常識に流されるタイプですか。あるいは、神の視点でものごとを見ることができますか。
イスラエルの民が、「神の訪れの時」を逃してから、約2000年が経過しました。そして今再び、神は彼らに、「神の訪れの時」を与えておられます。1948年のイスラエルの建国は、20世紀に起こった最大の出来事のひとつです。ユダヤ人たちは再び国を回復し、多くのユダヤ人たちが世界各地から、祖国への帰還を開始しました。1999年現在で、イスラエルは600万人の人口を有する国となりました。その中から、イエスをメシヤと信じるユダヤ人たち(メシアニック・ジュー)が誕生するようになり、今やイスラエルでは、メシアニックジュイッシュ運動は、無視できない勢力になっています。ユダヤ人たちが、この「神の訪れの時」を再び逸することがないように、とりなしの祈りをささげましょう。また、私たち異邦人クリスチャンにとっても、今は「神の訪れの時」であることを覚え、イエスにお従いしましょう。イエスは、あなたを見て喜んでおられますか、それとも、涙しておられますか。
きょうの祈り
アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。あなたの民であるイスラエルが、「神の訪れの時」を再び逃すことのないように、お導きください。また、私自身が、「神の訪れの時」を自覚し、あなたにお従いする者となれますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
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歴代誌 第一12~13、ヨハネの黙示録4
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