1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。
2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。
8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
有名な箇所です。まず、ザアカイの特徴を調べてみましょう。(1)頭の良い人でした。でなければ、「取税人のかしら」(2節)には、なれなかったでしょう。(2)大金持ちでした。エリコという町は、エルサレムと東方の国々とを結ぶ交通の要所です。また、その付近で採れるバルサム油の集約地でもありました。通行税を徴収する取税人たちにとっては、良い場所です。(3)背が低い人でした。(4)一般の人々からは、のけ者にされていました。ローマの手先となって働く、取税人だったからです。以上が彼の特徴ですが、そこから見えてくるザアカイ像は、「物質的な富は手に入れたが、人生に満足できないで、模索している人」というものです。あなたは、富を蓄積すれば、人生の問題は解決すると思っていますか。あるいは、物質的に豊かな人ほど、満足した人生を歩んでいると思いますか。物質的な豊かさが、人生の豊かさを決めるのではないことを覚えましょう。
人は、どういう体験を経て、イエスに出会うのでしょうか。ザアカイの例から、四つのステップを学んでみましょう。(1)「イエスは、私を見ておられる。」(2)「イエスは、私の名前を知っておられる。」(3)「イエスは、私を招いておられる(木から降りて来なさい)。」(4)「イエスは、私を必要としておられる(あなたの家に泊まることにしてあるから)。」この四つのステップを体験したザアカイは、イエスを招き入れ、大宴会を開きました。そして、こう宣言しました。「私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」(8節)。律法によれば、通常の盗みの場合は、最初の額に五分の一を加えたものを返済することになっていました(レビ記6:5)。しかしザアカイは、四倍返しという方法をとりました。それは、動物を盗んで、それを売ったり殺したりした場合の賠償額です(出エジプト記22:1~2)。つまりザアカイは、律法が要求している以上の償いをすることで、自らの悔い改めを表現したのです。イエスは、「きょう、救いがこの家に来ました。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(9~10節)とお語りになりました。イエスは、あなたを見ておられ、あなたのすべてをご存じです。この認識は、あなたの生き方のどこをどう変えますか。
きょうの祈り
全知全能の神よ。あなたが、私を知っていてくださること、また、私を招いてくださることを感謝します。今、あなたを私の家(心)にお迎えします。私の人生をお導きください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
歴代誌 第一6~7、ヨハネの黙示録1
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