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ルカの福音書15:1~10

1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。

2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」

3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。

4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。

5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、

6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

8 また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。

9 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」

失われたものの回復

失われた羊

ルカの福音書15章は、おそらく聖書の中で最も愛され、親しまれている章でしょう。ここには、失われたたましいを捜し求める父なる神の愛が、余すところなく表現されています。まず、文脈を確認しておきましょう。イエスは、「聞く耳のある人は聞きなさい。」(1435)とお語りになりました。その勧めに従ったのは、取税人や、罪人たちでした。イエスが彼らを受け入れているのを見て怒ったのは、当時の宗教的エリートたち(パリサイ人、律法学者たち)でした。そこでイエスは彼らに、三つのたとえ話をお語りになりました。ユダヤ教では、罪人が悔い改めるなら神は赦してくださるという教えはありましたが、神の方から罪人を捜すという考え方はありませんでした。イエスは、新しい角度から、天の父が私たちをどれほど愛しておられるかを教えてくださいました。最初が、失われた羊のたとえです。ある人が羊を百匹持っていました。しかし、そのうちの一匹がいなくなりました。彼にとっては、いなくなった一匹の羊は百分の一ではなく、すべてでした。安全な所にいる九十九匹を残して、羊飼いはいなくなった一匹を捜し回ります。徹底的に、ありとあらゆるところを捜し回る羊飼いの姿が目に浮かびます。ついにその羊が見つかります。羊飼いは、その羊を肩に担いで帰って来ます。いなくなった羊が見つかった喜びは、今までのすべての労苦を帳消しにして余りあります。一人の罪人が神に立ち返ったときに、同じような喜びが天にあふれます。

なくした銀貨

次が、なくした銀貨のたとえです。この銀貨は「ドラクマ」と呼ばれるもので、当時の労働者一日分の給料に相当します。貧しい婦人にとっては、高額の貨幣であったに違いありません。当時の家は窓が小さく、昼間でも部屋の中は薄暗かったのでしょう。彼女はあかりをつけ、必死になって家中を捜し回ります。そしてついにそれを見つけます。彼女は、友人知人を招いて、その喜びを分かち合います。ここでも、失われたものが回復されたときの喜びが強調されています。ユダヤ教のラビたちは、「失った銀貨を徹底的に捜すように、神の律法も徹底的に探求すべきである。」と教えました。しかしイエスは、「失った銀貨を徹底的に捜すように、神は失われた罪人を徹底的に捜しておられる。」と教えてくださいました。あなたは、神に見出されていますか。もし失われているなら、神はあなたを捜し求めておられます。

きょうの祈り

恵み深い天の父なる神さま。私のような者でも、あなたに立ち返るなら、天において大きな喜びがあると教えてくださり、感謝します。どうか私を、あなたの愛を運ぶメッセンジャーとしてお用いください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ダニエル書9~10、詩篇121~122

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