10 イエスは安息日に、ある会堂で教えておられた。
11 すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全然伸ばすことのできない女がいた。
12 イエスは、その女を見て、呼び寄せ、「あなたの病気はいやされました」と言って、
13 手を置かれると、女はたちどころに腰が伸びて、神をあがめた。
14 すると、それを見た会堂管理者は、イエスが安息日にいやされたのを憤って、群衆に言った。「働いてよい日は六日です。その間に来て直してもらうがよい。安息日には、いけないのです。」
15 しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たち。あなたがたは、安息日に、牛やろばを小屋からほどき、水を飲ませに連れて行くではありませんか。
16 この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」
17 こう話されると、反対していた者たちはみな、恥じ入り、群衆はみな、イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ。
安息日の曲解に関しては、すでにルカの福音書6:1~11で一度取り上げました。神は、人を祝福するために、安息日をお与えになりました。割礼がアブラハム契約の印であったように、安息日は、シナイ契約(神がシナイ山でイスラエルの民と結んだ契約)の印となりました(出エジプト記31:13)。ユダヤ人にとっては、安息日は非常に重要な意味を持っています。ユダヤ教のラビたちは今日でも、聖書の中で最も重要な祭りは、安息日であると教えています。しかしイスラエル人たちは、この安息日を重視するあまり、結果として、律法主義を招いてしまいました。今日の箇所でもイエスは、パリサイ人の誤りを厳しく糾弾しておられます。イエスは安息日に、腰の曲がった女をいやされました。彼女は、「18年以上も病の霊につかれていた。」(10節)とあります。会堂管理者は、憤って、群集に言いました。「働いてよい日は六日です。その間に来て直してもらうがよい。安息日には、いけないのです。」(14節)。イエスは、彼とその仲間たちのことを、「偽善者たち。」と呼ばれました。彼らは、十戒の第四戒を厳格に守り、律法に従った生活をしているかのように見せかけながら、その実、律法の精神を踏みにじっていました。パリサイ人たちは、安息日であっても、家畜への配慮は欠かさなかったくせに、18年以上も苦しんできたこの女の解放を喜ぶことができませんでした。イエスは、人のいのちが家畜以下にしか扱われていないことに、憤慨されたのです。
私はあるとき、ユダヤ人の友人(彼はメシアニック・ジューではありません)に、もし安息日に病気になったらどうするのかと聞いたことがあります。彼はしばらく考えてから、こういう興味深い話をしてくれました。「超正統派のユダヤ教徒たちは、安息日には自動車を運転しません。その彼らであっても、家族のだれかが重病にかかったなら、安息日であっても救急車を呼びます。」この答えを聞きながら、私は、すべてのユダヤ教徒が律法主義者だというわけではないことを教えられました。彼らは、安息日にいのちを救うことを知っているのです。では私たちはどうでしょうか。人のいのちをすべてにまさって重視しているでしょうか。イエス・キリストは、いのちを救うために死んでくださいました。そのいのちを救うこと(救霊)が私たちにとっての最大の関心事、目標となっているでしょうか。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神よ。あなたは、私たちのいのちを全世界よりも重いと評価してくださいました。感謝します。どうか、あなたの愛をもって隣人に接することができますように、私を力づけてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
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エステル記3~4、ペテロの手紙 第一1
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