35 腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。
36 主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸をあけようと、その帰りを待ち受けている人たちのようでありなさい。
37 帰って来た主人に、目をさましているところを見られるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに告げます。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばにいて給仕をしてくれます。
38 主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、いつでもそのようであることを見られるなら、そのしもべたちは幸いです。
39 このことを知っておきなさい。もしも家の主人が、どろぼうの来る時間を知っていたなら、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。
40 あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのですから。」
いつか消え去って行く地上の財産に目をやるのではなく、確実に実現することに関心を払いなさい、という教えが続きます。確実に実現することとは、人の子(イエス)の再臨です。この箇所でイエスは、婚礼に出かけた主人を待つしもべのたとえを話されました。しもべは主人がいつ帰って来てもよいように、一晩中起きて待っています。主人が帰って来て、戸をたたいたら、すぐに戸を開けるためです。忠実なしもべの姿に感動した主人は、そのしもべたちを食卓に着かせ、自分が給仕を始めます。主人としもべの立場が逆転したのです。こういう逆転は、現実の生活ではあり得ません。しかし、神の国では、現実にあり得ないことが現実となります。神は、忠実なしもべたちに、予期せぬ報酬を与えてくださるお方です。パウロは、こう語っています。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(コリント人への手紙第一2:9)。あなたは、これまでの歩みの中で、予期せぬ神の祝福を味わったことがありますか。過去の恵みを思い起こし、これからも神の祝福があることを信じて力をいただきましょう。
次にイエスは、人の子が予期せぬ時に帰って来ることを教えるために、どろぼうの被害に備える主人のたとえを話されました。この家は、土のレンガでできた家です。当時は、それが普通だったのです。どろぼうは、土の壁をくりぬいて、その家に押し入ろうとしています。もし主人が、その時間を知っているなら、どろぼうの被害は防げます。しかし、いつかはわからないのですから、常に注意深くしているしか方法がありません。このたとえからイエスは、備えの大切さを教えてくださいました。いつかはわからないが、確実に来るというものが、人生にはいくつかあります。(1)老いの現実。(2)死の現実。(3)イエスの再臨の現実。これらは、すべての人に必ずやって来ます。その時、あなたは何に信頼を置きますか。地上の富や地位は、あなたを救うことができますか。今ダビデとともに、この祈りを祈りましょう。「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。」(詩篇23:4)。
きょうの祈り
天の父なる神さま。主イエスの再臨が、ますます近くなりつつあるこの時代、どうか、霊的に眠りこけることのないように、私をお守りください。今日、主が帰って来られてもよいように、信仰に立って歩ませてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
雅歌1~2、詩篇115~116
ハーベスト・タイムによる無料の聖書講解動画(音声)サイト。
最新のメッセージ
毎朝6時にきょうの【クレイ】が
あなたのLINEに届きます!