24 汚れた霊が人から出て行って、水のない所をさまよいながら、休み場を捜します。一つも見つからないので、『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。
25 帰って見ると、家は、掃除をしてきちんとかたづいていました。
26 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」
27 イエスが、これらのことを話しておられると、群衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエスに言った。「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」
28 しかし、イエスは言われた。「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」
前回の箇所で、ユダヤ人たちがイエスのメシヤ性を拒否したことが明らかになりました。そのことを前提にイエスは、一度出て行った汚れた霊が、再び帰還するという話をされました。この話は、一般論ではなく、はっきりとユダヤ人たちに向けられたメッセージです。その内容を吟味してみましょう。神の国運動は、バプテスマのヨハネの活動で始まりました(ルカの福音書3:3以降参照)。彼は、ヨルダン川のほとりで、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説きました。預言者イザヤは、次のように預言しています。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」ヨハネの働きは、メシヤであるイエスを迎えるために、家の中をきれいに掃除するようなものでした。しかし、ユダヤ人たちは、きれいに掃除された家に、メシヤを迎えようとはしませんでした。やがて、もといた悪霊は、自分よりもさらに悪質な七つの悪霊を伴なって帰宅し、そこに住みつくようになりました。つまり、ユダヤ人たちの霊的な状態は、前よりも悪くなったのです。その結果彼らは、ユダヤ人の歴史上最も悲惨なさばきを経験することになります。紀元70年のエルサレム崩壊が、それです。
「汚れた霊の帰宅」の話は、私たちへのメッセージでもあります。かつて熱心に聖書を読み、教会に通っていた人が、それを止めた結果、初めの状態よりも悪くなるということがよくあります。あなたは、そういう方を見たことがありますか。何が問題だったのでしょうか。掃除された家に、聖霊を迎えていなかったことが失敗の原因です。私たちの心は、いつまでも空家の状態でいることができないのです。聖霊を迎えるか、悪霊を招き入れるかのどちらかです。聴衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエスに言いました。「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」これは、イエスへの信仰告白となっています。しかしイエスは、大切なのは血がつながっているかどうかではなく、霊的に神につながっているかどうかであると、お教えになりました。ユダヤ人たちの不信仰は、回帰不能地点を超えました。あなたはいかがですか。恵みの時が備えられているうちに、神に立ち返りましょう。聖霊で満たしていただきましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神様。今私は、かつては信仰熱心であったが、今は神から離れてしまった方々のために祈ります。最初の状態よりも悪くなってしまった彼らを、どうかあわれんでください。彼らを、滅びから救ってください。私を、そのような方々に遣わしてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
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