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ルカの福音書11:9~13

9 わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。

10 だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。

11 あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。

12 卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。

13 してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

求めなさい。捜しなさい。たたきなさい。

継続した祈り

ここでもイエスは、継続した祈りの重要性を教えておられます。三つのことばが並べられています。「求めなさい。捜しなさい。たたきなさい。」この三つのことばは、継続した動作を意味しています。継続した祈りに対する神からの答えが、10節に書かれています。「だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」しかし、これらの教えから、何でも祈った通りに聞かれると思ってはいけません。何でも自分が祈った通りに実現するとしたら、恐ろしくて、祈れなくなるはずです。時には神は、「否」と言われます。それが、祈りの答えとなることもあるのです。そのことを通して、神は、私たちの祈りの真意にはお答えくださっているのです。あなたの人生で、願った通りにはならなかったが、結果として、その方が祝福につながったということがありませんでしたか。神が真剣な祈りを見過ごしにされることは、決してありません。

なおのこと、天の父は

次に、日常生活の例から、神の恵みに光が当てられます。二つの対比が出てきます。「魚と蛇」、「卵とさそり」です。ガリラヤ湖で取れる魚には、蛇に似たものがありました。また、砂漠地帯には、白い色をしたさそりがおり、体を丸めた姿は卵そっくりでした。判断力のない子どもは、誤ってにせ物に手を出すかもしれません。しかし、父親は、自分の子どもには、本物しか与えません。それが親の愛です。ここで、第三の対比が出てきます。それは、地上の父と天の父との対比です。イエスは、こう結論づけられました。「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」(13節)。「とすれば、なおのこと、」という表現に注目しましょう。天の父は、最善しかお与えになりません。そして、その最善のもののひとつが、聖霊です。あなたの心には、様々な願いがあることでしょう。しかし、聖霊に心が満たされるなら、ほとんどの願いが解決されることをご存じでしたか。ローマ人への手紙8章には、聖霊に満たされたクリスチャン生活の祝福が書かれています。祈りつつ、その箇所を読んでみましょう。聖霊に満たしてくださいと祈りましょう。祈ったならば、満たされたと信じ、受け取りましょう。

きょうの祈り

天の父なる神様。あなたは、私の祈りにお答えくださる方です。いつも、最善をお与えくださる方です。今、聖霊で満たしてください。満たされたことを信じます。主イエスの御名によって祈ります。
アーメン。

年間聖書通読

伝道者の書3~4、ヘブル人への手紙9

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