5 また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。
6 友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ』と言ったとします。
7 すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』
8 あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。
主の祈りを弟子たちに教えたイエスは、次に、たとえ話を用いて、祈り続けることの重要性を強調されました。そのたとえ話とは、以下のような内容のものでした。ある人が、友人のところに行って、パンを三つ貸してくれとしつこく頼みます。なぜそんなにしつこく迫ったのでしょうか。三つの理由が考えられます。(1)真夜中に友人が訪ねてきたのに、何も出すものがなかったからです。当時の貧しい人々は、毎朝その日食するだけのパンを焼いていました。おそらくこの訪問客は、昼間の熱気を避けて、夕刻から旅を始めたのでしょう。客をもてなすことは、聖なる務めですから、見捨てておくわけにはいきません。(2)友人のところにはパンがあることを知っていたからです。小さなパン三つもあれば、一人の人が食べる量としては、十分でしょう。そこで、友人の家の戸をたたきました。しかし友人は、なかなか起き上がってくれません。おそらくその友人は、今で言うワンルームの家に住んでいたのでしょう。底上げした木の台の上に家族全員が寝ており、土間には、家畜が休んでいたのかもしれません。一人が起き上がると、家の中全部が、眠りを妨げられます。友情に応えられないような結果になっても、そのまま寝ている方が楽です。(3)他に方法がなかったからです。彼は、友人に頼む以外に方法がないのを知っていましたので、なおも戸をたたき続けました。その結果、ついに友人は起き上がって、パンを与えてくれました。彼の熱心さが、勝ったのです。
このたとえ話は、神はなかなか祈りに答えてくださらないと言っているのではありません。その逆です。神はいつも、祈りに答えようとして待っておられます。私たちに必要なのは、それを信じて、祈り続けること、願い続けることです。祈りの答えがすぐに来ないからといって、祈りを止めるなら、それは、私たちの願いがいかに浅いものであるかを証明しているだけです。私たちは、大きな必要を抱えています。私たちは、神のみが答えを持っておられることを知っています。ですから、熱心に祈るのです。あなたには、祈ることをあきらめていた課題はありませんか。あるいは、祈る前からあきらめていた課題はありませんか。継続した祈りを、今日から始めましょう。
きょうの祈り
恵み深い神よ。途切れ途切れの祈りしかしてこなかった私をお赦しください。主イエスが、今日、直接私に、継続した祈りの重要性をお教えくださったように感じています。私も、祈りの勇士となれますように、お助けください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
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