40 王はギルガルへ進み、キムハムもいっしょに進んだ。ユダのすべての民とイスラエルの民の半分とが、王といっしょに進んだ。
41 するとそこへ、イスラエルのすべての人が王のところにやって来て、王に言った。「われわれの兄弟、ユダの人々は、なぜ、あなたを奪い去り、王とその家族に、また王といっしょにダビデの部下たちに、ヨルダン川を渡らせたのですか。」
42 ユダのすべての人々はイスラエルの人々に言い返した。「王は、われわれの身内だからだ。なぜ、このことでそんなに怒るのか。いったい、われわれが王の食物を食べたとでもいうのか。王が何かわれわれに贈り物をしたとでもいうのか。」
43 イスラエルの人々はユダの人々に答えて言った。「われわれは、王に十の分け前を持っている。だからダビデにも、あなたがたよりも多くを持っているはずだ。それなのに、なぜ、われわれをないがしろにするのか。われわれの王を連れ戻そうと最初に言いだしたのは、われわれではないか。」しかし、ユダの人々のことばは、イスラエルの人々のことばより激しかった。
きょうの箇所で、思わぬ言い争いが起こります。ダビデはヨルダン川を渡り、西岸のギルガルへと進みます。バルジライの息子のキムハムもいっしょです。一行を護衛するために、ユダのすべての民とイスラエルの民の半分がともに進んでいます。イスラエルの民は、ユダの人々ほど迅速には行動しなかったようです。
(1)そのとき、イスラエルのすべての人がダビデのもとにやって来て、抗議します。(2)彼らは、ユダの民が自分たちに相談もしないでダビデをエルサレムに戻そうとしていることに抗議したのです。つまり、自分たちの存在が無視されていることへの抗議です。(3)それに対して、ユダの人々は反論します。ダビデは自分たちの身内だから、親しく付き合うのは当然だというのが彼らの言い分です。(4)同族関係を強調するユダの人々に対して、イスラエルの人々は部族の数の大きさ(10部族)と、王座復帰を最初に言い出した時間的優位とを主張します。(5)かくして、この言い争いは激しい論争へと発展していきました。声が大きかったのは、ユダの人々の方です。それを見て、ユダの人々が優勢であるという判断を下してはなりません。筋論から言えば、イスラエルの人々に分があったのです。それを認めたくないために、ユダの人々は相手よりも声を荒げざるを得なかったのです。言い争いにおいては、声の大きいほうが分が悪いと知るべきです。
ことばには力があります。特に、激しい口調で語ることばには、否定的な結果をもたらす力があります。ここでも、ユダの人々の激しいことばが、論争の火に油を注ぐ結果になりました。静かに、優しいことばで話し合うこともできたはずです。
自分の言い分に分があると思えるような場合でも、激しいことばを語ってはなりません。それは相手の怒りを引き起こすだけでなく、神を悲しませる結果になります。「柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす」(箴言15:1)とあります。きょう一日、柔らかな答えを口に出すことを心がけようではありませんか。
きょうの祈り
全知全能の神よ。どうか私が、心の中から良いものを、柔らかなことばによって取り出すことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
エレミヤ書48~49、コリント人への手紙 第二10
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