25 さて、イスラエルのどこにも、アブシャロムほど、その美しさをほめはやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂まで彼には非の打ちどころがなかった。
26 彼が頭を刈るとき、─毎年、年の終わりには、それが重いので刈っていた。─その髪の毛を量ると、王のはかりで二百シェケルもあった。
27 アブシャロムに三人の息子と、ひとりの娘が生まれた。その娘の名はタマルといって非常に美しい娘であった。
今流行のことばを使えば、アブシャロムは「イケメン」だったのです。(1)イスラエルで彼ほどその美しさをほめはやされた者はいませんでした。当然、思い上がった人間になったことでしょう。(2)その美貌は、「足の裏から頭の頂まで非の打ちどころがない」ほどのものでした。(3)髪の毛も豊かにありました。その毛を誇りとしていた彼は、その重さに耐えられなくなるまで頭を刈ろうとはしませんでした(彼がナジル人であったという説もありますが、聖書的な裏づけがありません)。あまりにも重くなりすぎるので、年の終わりには髪の毛を刈っていました。その重さは200シェケル(およそ2.8キログラム)もありました。(4)彼には3人の息子がいましたが、全員若くして死に、世継ぎとはなれませんでした(18:18)。(5)ひとり娘にはタマルという名が付けられました。アムノンによって犯された美貌の妹と同じ名です。タマルの娘マアカは、レハブアム王の妻になっています(Ⅱ歴代誌11:20)。
以上の記述は、なぜアブシャロムがイスラエルの民の心を掴むことができたのかの説明となっています。
肉体的な美貌もまた神の賜物ですが、多くの場合、それは高慢の原因ともなります。アブシャロムは自らの美貌を誇っていました。特に、髪の毛は重さに耐え切れなくなるまで、切ろうとしませんでした。しかしその髪の毛も、後に彼の破滅の一因となります。彼は逃亡する際に、頭を樫の木に引っ掛け、宙づりになりました(18:9~15)。
悲しいことに、アブシャロムに関しては肉体的な美貌が語られるのみで、その信仰や知恵に関する言及は何もありません。彼の霊性はどうなっていたのでしょうか。健全な肉体に健全なたましいが宿ると言われますが、彼の場合は例外だったのでしょうか。自分の外見以外に誇るものが何もない人は、薄っぺらであわれな人です。ペテロの勧告を心に受け止めて、きょう一日をスタートしましょう。「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン」(Ⅱペテロ3:18)。
きょうの祈り
天地創造の神よ。すべての良き物はあなたから与えられます。あなたの賜物によって傲慢になることのありませんように、またそれを霊的成長のために用いることができますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
エレミヤ書2~3、詩篇57 ~ 58
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