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サムエル記第二12:13 ~ 15a

13 ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。

14 しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」

15a こうしてナタンは自分の家へ戻った。

ダビデの悔い改め

詩篇51

ナタンの叱責のことばを聞いたダビデは、即座に自らの罪を認め告白します。きょうの箇所では、「私は主に対して罪を犯した」としか書かれていませんが、その告白の内容は詩篇51篇に詳しく詠われています。ここで、詩篇51篇を確認してみましょう。ダビデは、三つのことを認めています。(1)自分が犯した罪は、何よりも主に対するものであったこと。(2)自分には、弁解の余地がないこと。(3)罪の結果、聖霊が取り去られ、自分が神の臨在から切り離されたこと。この三つは、真の悔い改めに含まれる三大要素です。ダビデのすばらしい点は、罪の中にあっても神の恵みを忘れなかったことです。彼は、神の恵みによって神に立ち返ることができると信じました。あなたはどうですか。人は、クリスチャンになってもすぐに完全になるわけではありません。神は、私たちが罪を犯したとき神に立ち返ることができるように、道を用意してくださいました。それは、ヒソプではなく、イエスの血潮によって用意された道です。今、罪を告白し、神のもとに立ち返りましょう。

神の赦し

ダビデの告白と悔い改めのことばを聞いて、主は彼をお赦しになりました。ナタンは即座に、罪の赦しの宣告を行なっています。(1)ダビデは死に値する罪を犯しましたが、「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない」という主からの宣告を受け取りました。(2)しかし、罪が赦されたということと、自分が蒔いた種の刈り取りをするということとは、別問題です(ガラテヤ6:7~8参照)。(3)ダビデの行為は、神の敵(偶像礼拝者たち)を喜ばせ、彼らに主とその民に対する侮りの心を起こさせるものでした。そこで、バテ・シェバから産まれてくる子の死が宣告されます。これは、主がダビデの行為を忌み嫌われたということを表現する「しるし」となりました。主は罪を憎まれます。と同時に、あわれみと愛の神でもあります。神の義と愛の狭間はざまに、十字架が立ったことを思い起こし、主のみこころにひれ伏そうではありませんか。

きょうの祈り

天の父なる神さま。今私は、悔いた心、砕けた心をもって御前に出ております。どうか御恵みによって私を取り扱ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

イザヤ書44~45、コリント人への手紙 第一1

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