1 ダビデが言った。「サウルの家の者で、まだ生き残っている者はいないか。私はヨナタンのために、その者に恵みを施したい。」
2 サウルの家にツィバという名のしもべがいた。彼がダビデのところに召し出されたとき、王は彼に尋ねた。「あなたがツィバか。」すると彼は答えた。「はい、このしもべです。」
3 王は言った。「サウルの家の者で、まだ、だれかいないのか。私はその者に神の恵みを施したい。」ツィバは王に言った。「まだ、ヨナタンの子で足の不自由な方がおられます。」
4 王は彼に言った。「彼は、どこにいるのか。」ツィバは王に言った。「今、ロ・デバルのアミエルの子マキルの家におられます。」
5 そこでダビデ王は人をやり、ロ・デバルのアミエルの子マキルの家から彼を連れて来させた。
6 サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテは、ダビデのところに来て、ひれ伏して礼をした。ダビデは言った。「メフィボシェテか。」彼は答えた。「はい、このしもべです。」
7 ダビデは言った。「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのために、あなたに恵みを施したい。あなたの祖父サウルの地所を全部あなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をしてよい。」
8 彼は礼をして言った。「このしもべが何者だというので、あなたは、この死んだ犬のような私を顧みてくださるのですか。」
日本のことわざに、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というものがあります。苦しいときには人を頼み、苦しさが去ればその恩を忘れることをいいます。私たちクリスチャンも、往々にして人からお世話になったことを忘れて感謝の心をなくしたり、神に対する感謝や約束を忘れてしまったりすることがあります。しかし、ダビデはそうではありませんでした。真の信仰者は、あらゆる点で誠実に生きようとするものです。
当時の中近東の習慣では、王朝の安定を計るために前王朝の子孫を抹殺するのが一般的でした。しかし、神を恐れ敬うダビデは、それとは正反対のことをしています。(1)背景にあるのは、サウルの息子のヨナタンとの友情契約です(Ⅰサムエル記20:14~15)。(2)ダビデは、サウル家の生き残りを捜し出し、その者に神の恵みを施そうと決意します。
(1)ダビデはサウル家の有力な管理人ツィバを見いだし、彼から、ヨナタンの息子で足の不自由なメフィボシェテが残っていることを知らされます。メフィボシェテは、ロ・デバルのマキル家で世話になっていました。(2)メフィボシェテは、いのちが奪われるのではないかと恐れながらダビデのもとに来て、その前にひれ伏します。(3)しかし彼は、ダビデから夢のような提案を受けます。ベニヤミンの地にある祖父サウルの土地がすべて自分に返還されるというのです。また、ダビデの賓客として、王の食卓で食事をしてもよいという許可まで受けます。(4)生死の境を何度もくぐり抜けてきたメフィボシェテは、感激してダビデの申し出を受け入れます。
ダビデの決断からどのような教訓を学ぶことができますか。彼は自らサウル家の子孫を捜し出し、ヨナタンとの約束を果たそうとしました。私たちも、まだ果たしていない人との約束、神との約束がないかどうか、自己吟味をしてみましょう。神は約束したことを実行する人を祝福し、助けてくださいます。
きょうの祈り
天の父よ。あなたの子としてふさわしい歩みができますように、どうか私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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