1 さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。
2 私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。
3 翌日、シドンに入港した。ユリアスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。
4 そこから出帆したが、向かい風なので、キプロスの島陰を航行した。
5 そしてキリキヤとパンフリヤの沖を航行して、ルキヤのミラに入港した。
6 そこに、イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、百人隊長は私たちをそれに乗り込ませた。
7 幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、
8 その岸に沿って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。
パウロは、カイザリヤからローマに向かう(使27:1 ~ 28:15)。ルカはこの船旅を詳細に記録しているが、そこには2 つの目的があると思われる。①パウロを守る神の御手について書くこと(パウロがローマに行くことは、神の御心である)。②福音の異邦人世界への広がりについて書くこと(教会建設は主の主権によって行われる)。
パウロは、ローマに上るというゴールを常に意識していた。「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない』と言った」(使19:21)
パウロは、先に危険が待っていると何度も警告されたが、エルサレムに上り、次はローマに行くという意志を曲げなかった。実際に数々の危機が襲って来たが、パウロの決心が揺らぐことはなかった。カイザリヤでの幽閉は2 年以上にも及んだ。そしていよいよ、パウロはローマに向かう(ただし、囚人として)。一連の物語の流れの中には、神の主権とそれに信頼する人間の責務の調和が見られる。この霊的原則は、そのまま私たちにも適用される。神は主権をもって計画を実行される。それゆえ、私たちは神に従うのである。
この航海では、囚人であるパウロがリーダーとして奉仕するようになる。パウロの力は、イエス・キリストから来ていることを読み取ろう。
スコットランド出身の聖書学者・考古学者で、ウイリアム・ラムゼイ(Sir William Mitchell Ramsay(1851 ~ 1939)という人がいる。19 世紀末ごろ、スコットランドの未信者グループが、聖書の間違いを見つけるためのプロジェクトを開始した。ウイリアム・ラムゼイは、ルカの記録の誤りを見つけるための調査役に任命された。彼は、使徒の働きの記録が不正確であることを証明するために、パウロの訪問地を訪れ、現地調査を行った。この調査の後、彼はクリスチャンになった。それどころか、小アジア研究の第一人者となった。彼は、使徒の働きに関する書を何冊か記しているが、その中では、『St. Paul, the Traveler and the Roman Citizen』(聖パウロ、旅人そしてローマ市民)が最も有名である。
ルカの記録は信頼できる。聖書に向かう時、そこに書かれているすべてのことが、信頼できる神のことばであることを受け取ろうではないか。私たちには、揺るぎない人生の土台が与えられている。
きょうの祈り
天の父なる神さま。聖書は、誤りなき神のことばです。きょうも、みことばを信頼して歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
サムエル記第一12~13、ルカの福音書22
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