24 数日後、ペリクスはユダヤ人である妻ドルシラを連れて来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスを信じる信仰について話を聞いた。
25 しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう」と言った。
26 それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った。
27 二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた。
「しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、『今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう』と言った」。
(1)パウロは、ペリクスに向かって3 つのことを論じた。「正義と節制とやがて来る審判」がそれである。①正義とは、神の義と聖さの水準のことである。信仰に入るための第一歩は、神に関する正しい認識である。②節制とは、人の罪の深さの指摘である。放縦な生活に関しては、ペリクスとドルシラ夫婦がその第一人者である。ペリクスの政治と結婚は、不義に満ちたものであった。③やがて来る審判とは、死後の審判のことである。主イエスの血潮によって罪の赦しを得ていなければ、火の池で苦しむことになる。以上の3 点は、伝道する際に伝えなければならない基本的要素である。
(2)ペリクスは、パウロの話を聞いて恐れを感じた。①彼は、神学的議論を期待していたが、道徳的生活がテーマになった。②パウロの話は力強かったので、彼は大いに恐れた。彼には、罪の自覚が十分にあったのである。③しかし、妻のドルシラが恐れたとは書かれていない。恐らく平気だったのだろう。彼女の内には、ヘロデ家の血が流れている。
(3)ペリクスは恐れたが、信仰の決断は先延ばしにした。①彼は、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう」と言った。②ここで起こっている悲劇を見逃してはならない。邪悪なペリクスに救いの手が差し伸べられた。また、家系そのものが堕落していたドルシラにも救いの手が差し伸べられた。彼らには、史上最高の説教者が与えられた。彼らがいた部屋は、聖なる空間となった。しかし、彼らが信仰を告白したという証拠はない。③やがてドルシラは、ベスビオ山の噴火で、ペリクスとの間に生まれた子と一緒に死ぬことになる。まるで火の池での裁きを象徴しているかのような最期である。
人の心は、決断を先延ばしにすればするほど頑なになる。いつでも決心することができると思ってはならない。2 コリント6:2 を心に刻もう。「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」。今が恵みの時である。
きょうの祈り
天の父なる神さま。今は恵みの時、救いの日です。一人でも多くの人が救いに至ることを願います。どうか、私を用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
士師記3~4、ルカの福音書11
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