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使徒の働き22:1 ~ 5

1 「兄弟たち、父たちよ。いま私が皆さんにしようとする弁明を聞いてください。」

2 パウロがヘブル語で語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。そこでパウロは話し続けた。

3 「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。

4 私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。

5 このことは、大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。この人たちから、私は兄弟たちへあてた手紙までも受け取り、ダマスコへ向かって出発しました。そこにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れて来て処罰するためでした。

パウロの弁明(1)

ヘブル語で語る

このスピーチの特徴を見ておこう。使徒22:1 ~ 2629 で、5 回パウロのスピーチが出て来るが、このスピーチは最初のものである。これまでパウロは伝道的なスピーチをして来たが、今後は弁明的なものになる。(1)「兄弟たち、父たちよ」は、敬意を表す呼びかけであり、慣用句でもある(使7:2 参照)。このスピーチのゴールは、弁明である。自分は、神に対して、律法に対して、神殿に対して敵対する者ではない。異邦人伝道は、神から自分に与えられた使命である。(2)パウロは、ギリシャ語ではなくヘブル語(アラム語)で語り始めた。アラム語は、神殿内で使用する言葉で、ユダヤの住民、ガリラヤの住民、ディアスポラのユダヤ人などは、これを理解できた。しかし、ローマ兵たちには理解できなかったであろう。(3)この段階で、律法に熱心な者たちのパウロに対する認識が、相当変わったと思われる(ディアスポラのユダヤ人なのにアラム語ができるという驚き)。

律法に熱心

(1)パウロは、自分もまた律法に熱心な者であったと証言する。自分は、キリキヤのタルソで生まれたユダヤ人である。文法的には、現在形の動詞が使われている。つまり、イエスを信じたからと言って、ユダヤ人でなくなるわけではないということである。若い頃からエルサレムで育てられた。1213 歳でエルサレムにやって来たと思われる。パリサイ派の教育を受けた。当時最も尊敬されていたガマリエルから学んだ。(2)パウロは、律法に対する熱心さでは誰にも負けないと言いたいのである。その例として、教会に対して行った迫害を上げる。「私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。このことは、大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。・・・」。(3)当時、「この道」という言葉は、ユダヤ人の間で広く認識されていた。パウロは、殉教者の死については自分にも責任があると認めている。この迫害は、サンヘドリンの許可を得て行ったものである。このことを疑う者は、大祭司とサンヘドリンに確かめればよい。
パウロは、聴衆との間に信頼関係を築こうとしている。パウロは、彼らがパウロを殺そうとしているのは純粋な動機からであることを、かつての自分の姿を引き合いに出しながら、認めている。パウロの話法から学ぶことは多い。聞き手の心に配慮しながら、真実を語れる人は、霊的に成熟した人である。

きょうの祈り

天の父なる神さま。パウロのように、聞き手の心に配慮しながら、真実をかたれるよう、霊的に成長させてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

申命記15~16、マタイの福音書22