サポートする

使徒の働き21:7 ~ 14

7 私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。

8 翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家に入って、そこに滞在した。

9 この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。

10 幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。

11 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。

12 私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。

13 するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。

14 彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまった。

ツロからトレマイへ

トレマイ到着

今パウロは、エルサレムに上る途上にある。「私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた」。ツロからトレマイまでは、南に約40 キロの船旅である。トレマイ(プトレマイオス)は、ローマの植民都市であった。この町は、旧約時代にはアコと呼ばれた。「アシェルはアコの住民や、シドンの住民や、またマハレブ、アクジブ、ヘルバ、アフェク、レホブの住民を追い払わなかった」(士1:31)とあるが、ここにあるアコが新約時代のトレマイである。現在この町は、アッコ(ヘブル語)と呼ばれている。フェニキヤ最南端の港湾都市で、かつては、東地中海交易の拠点であった。イスラエル独立(1948 年)後も、パレスチナ人が多く定住している(人口の約3 分の1)。旧市街は、2001 年にユネスコの世界遺産に登録された。オスマン帝国時代の各種建築物と、地下に十字軍時代の遺構が残っている。聖書には主イエスがアッコを訪問したという記録はない。そのため、クリスチャンには馴染なじみのうすい町となっている。

主にある交わり

「そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した」。(1)トレマイでの滞在は、1 日で終わった。船荷の積みろしにさほどの時間がかからなかったのであろう。(2)パウロとその一行は、トレマイでも信者を探した。この町の教会も、ツロの教会と同じように迫害の結果誕生したと思われる。この迫害は、ステパノの殉教じゅんきょうに伴って起こったものである(使1119)。(3)新しい場所を訪問した際に信者を探す目的は、2 つある。主にある交わりと安心できる宿舎の確保がそれである。
パウロの一行は、エルサレムに上る途中で立ち寄った各地の教会で大いに歓迎された。すでに、トロアスでの1 週間(使20:7 ~ 12)とツロでの1 週間(使21:4 ~ 6)を見た。ここでは、トレマイでの1 日(使21:7)について学んだ。さらに、カイザリヤでの数日(使21:8 ~ 14)が続く。神の家族の交流は、なんと素晴らしいことであろうか。「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう」(詩133:1)

きょうの祈り

恵み深い父なる神さま。神の家族もあなたが与えてくださった恵みです。その交流の素晴らしさ、楽しさのゆえに感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

民数記29~30、マタイの福音書15