1 私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。
2 そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。
3 やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。
4 私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。
5 しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。
6 それから私たちは船に乗り込み、彼らは家へ帰って行った。
「私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した」。(1)「私たち」とは、パウロと8 人の同行者たちである。その中には、ルカも含まれていた。そえゆえ主語が「私たち」となっている。(2)彼らは、ツロの弟子たち(信者たち)を探した。ということは、ツロに教会ができていたのである。実は、その設立にはパウロも間接的に関わっていた。使徒11:19 にはこうある。「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、・・・」。パウロによる教会の迫害が、結果的には伝道の拡大につながった。このことは、パウロにとって慰めとなったはずである。(3)一行は、ツロの信者たちと7 日間交わりを持った。旅の途上にある兄弟たちをもてなすのは、信者の務めである。信者の家は、安宿に泊まるよりも、はるかに安全で快適であった。
「彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した」。(1)これは、御霊がエルサレムに上ることを禁じているという意味ではない。①御霊は、エルサレムで危険が待っていることを、ツロの信者たちにも啓示したのである。②これは、それまでにパウロに示されていた内容と同じである。御霊の示しは、迫害への準備をするようにという、パウロに対する警告である。(2)パウロは、エルサレムに上ることは、主の御心であるとの確信を持っていた。そして彼は、エルサレムで危険が待っているので、あらゆる準備をする必要があると認識していた。
「しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。・・・それから私たちは船に乗り込み、彼らは家へ帰って行った」。(1)船がツロ港を出帆する時が来た。①この場面は、ミレトの海岸での祈りほど劇的でないが、それでも感動的である。②信者たちは妻子を伴い、町外れまで見送りに来た。③パウロの一行は、彼らと共に海岸にひざまずいて祈り、別れを告げた。(2)パウロの一行は船に乗り、そして信者たちは、家に帰って行った。
彼らの間には、たった1 週間で深い信頼関係が生まれていたのである。神の家族の交わりとは、このようなものである。神は、私たちが互いに愛し合うことを喜んでくださる。
きょうの祈り
天の父なる神さま。神の家族の交わりは、信者に与えられている祝福です。私も、互いに愛し合うことを喜びとします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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民数記25~26、マタイの福音書13
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