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使徒の働き21:1 ~ 6

1 私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。

2 そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。

3 やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。

4 私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。

5 しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。

6 それから私たちは船に乗り込み、彼らは家へ帰って行った。

ミレトからパタラへ

文脈の確認

今パウロは、ミレトからエルサレムに向かって移動している。ルカは、その旅について詳細な記録を残している。使徒21:1 ~ 18 は3 度目の「私たち章句」(we section)であるが、その箇所には、深い神学的意味がある。ルカは、イエスの受難とパウロのエルサレム上りを対比させようとしている。

ミレトからコス、ロドス、パタラへ

(1)ミレトからコスへの船旅。パウロが乗った船は、沿岸地帯を航行する小型船である。パウロがこの船を雇った可能性がある。小型船の場合は、海岸沿いを航行し、夜になると港に停泊した。日本の千石船せんごくぶねとよく似ている。コスは、ミレトから約65 キロ南にある島で、「ヒポクラテスの誓い」で有名なヒポクラテス誕生の地である。この「誓い」は、医師の倫理・任務などについてのギリシャ神への宣誓文である(コス島には、医学校があった)。
(2)コス島からロドス島への船旅。コス島からロドス島へは、約140 キロの航海である。ロドスとは、バラの花という意味である。ロドスはコスモポリタンの町で、ここには世界の七不思議の一つである巨像があった。ちなみに世界の七不思議とは、ギザのピラミッド、バビロンの空中庭園、エペソのアルテミス神殿、オリンピアのゼウス像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟れいびょう、ロドス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台である。ロドス島の巨像は、紀元前3 世紀頃に建造された、太陽神ヘリオスの彫像である。これは、両足を広げて立つ灯台であった。全長34m、台座まで含めると約50m(米国の自由の女神像に匹敵する大きさ)あった。ヘリオスは、同じ太陽神のアポロン(ローマ名アポロ)と混同されたため、「アポロの巨像」とも呼ばれる。パウロがロドス島を通過した時代には、この像は壊れていた。
(3)ロドス島からパタラへの船旅。ロドス島から約95 キロ東に航海するとパタラの港に着く。ミレトからパタラまでは、3 日間で移動できたはずである。ここまでは、内海を航海する小型船での移動であった。
この箇所から学ぶべき教訓は、ルカが記した記録の歴史性と信頼性である。聖書は信頼できる書である。また、この旅は受難に向かう旅だが、エルサレムに上るというパウロの堅い意志にも注目しよう。私たちも、主イエスに従うことを堅く決意しようではないか。

きょうの祈り

天の父なる神さま。実に聖書は信頼できる書です。きょうも、聖書の正しい理解に立ち、主イエスに従います。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

民数記21~22、箴言11