21 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言った。
22 そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた。
ルカの福音書と使徒の働きは、共にルカが書いたものである。先に進む前に、両書の間に見られる対比を確認してみよう。
(1)中心地に関する対比がある。①ルカの福音書では、エルサレムが中心地である。イエス・キリストは、エルサレムで死に、埋葬され、復活された。②使徒の働きでは、ローマが中心地である。福音は、エルサレムからローマに伝わった。イエス・キリストは、ローマ帝国の首都に御自身の教会を設立されたのである。
(2)エンディングに関する対比がある。①ルカの福音書では、イエスの「受難」が詳細に記録されている。特に、最後の1週間が詳細に記録されている。ルカの福音書は、イエスの死ではなく、復活で終わっている。②使徒の働きでは、パウロの「受難」が詳細に記録されている。使徒の働きは、パウロの死ではなく、ローマでの新しい生活で終わっている。③ペテロの「受難」に関しても、同じことが言える。ペテロが解放されたところで、彼の「受難」物語が終わっている。④人生は死で終わるのではない。死の先に、復活の命が待っている。
(1)ローマに向かうことに関して。①神の御心は、パウロがローマに行き、そこで宣教することである。②パウロの願いも、ローマで宣教することである。この点では、神の計画とパウロの願いは合致していた。
(2)ローマに着く方法に関して。①ローマに着く方法は、パウロの予想とは違っていた(彼は囚人としてローマに行く)。神の主権は、人間の願いを超越している。最後は神の御心が成る。暴動が起こり、予定よりも早くエペソを出ることになったのは、その例である。②彼は、エルサレムに帰還することは危険であることを認識していた。それでも彼は、エルサレムに上ることをいとわなかった。
ルカ8:22(ゲラサ人の地)を見てみよう。「そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、『さあ、湖の向こう岸へ渡ろう』と言われた。それで弟子たちは舟を出した」。イエスが「向こう岸へ渡ろう」と言われたなら、途中で嵐が襲って来ても、必ず向こう岸に着ける。神の約束を信じるとは、そういうことである。パウロの究極的長期計画は、主と共にいることである。私たちの長期計画も、それと同じである。
きょうの祈り
父なる神よ。私の究極的長期計画も、あなたと共にいることです。あなたの約束を信じて、御心に歩んでまいります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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