8 それから、パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。
9 しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。
10 これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。
11 神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行われた。
12 パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。
第三次伝道旅行の中心地はエペソである。パウロは、約3 年の間エペソに留まった。教会史におけるエペソ伝道の重要性を見落としてはならない。エペソでのパウロの奉仕は、サンドイッチ形式で記述されている。① 12 人の弟子たちのエピソード(1 ~ 7 節)、②エペソでの奉仕そのもの(8 ~ 12 節)、③スケアの7 人の息子たち(13 ~ 20 節)。ここから②エペソでの奉仕そのものが始まる。
「それから、パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた」。(1)エペソのユダヤ人たち(会堂)は、パウロに好意的であった。国際都市であるエペソのユダヤ人たちは、他の町のユダヤ人たちよりも寛容であった。今でも、テル・アビブのユダヤ人とエルサレムのユダヤ人は違う。信仰に関して前者は寛容であり、後者は厳格である。(2)第二次伝道旅行の終わりに、パウロはエペソを訪問していた(使18:19 ~ 21)。その時パウロは、「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と約束していた(使18:21)。今回のエペソ訪問は、その約束の実行である。(3)パウロは3 ヶ月間、会堂で伝道した。①彼は先ずユダヤ人に、次に異邦人に、という伝道の原則を実践した。②エペソのユダヤ人たちは、アポロの時と同じように、パウロとも論じ合った。パウロのメッセージの中心は、「神の国」であった。③この討論は3 ヶ月も続いた。迫害や裁判なしにパウロが伝道を継続できたのは、これが最長記録である。
「しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、」。(1)長引く討論に飽き飽きしたユダヤ人たちが出て来た。彼らは、知的に頑なになり、信者たちを見下し、悪く言うようになった。(2)会堂で3 ヶ月の伝道が続いた時点で、ユダヤ人たちは福音を拒否した。そこでパウロは、異邦人伝道に向かった。(3)教会誕生から約25 年が経過しても、キリスト教は「この道」と呼ばれている(使9:1 ~ 2 参照)。
パウロの説教の中心テーマは、神の国である。「神の国」とは、メシア的王国(千年王国)のことである。ユダヤ人たちが信仰に踏み込めない理由は、イエスがメシアであるなら、なぜメシア的王国がまだ実現していないのかという疑問であろう。私たちは、メシア再臨に続いて神の国が地上に成就することを知っている。再臨待望は、私たちにとって試練に打ち勝つ力になる。
きょうの祈り
聖なる神よ。メシアの再臨に続いて神の国が成就することを信じます。日々、再臨の希望を抱きつつ歩めますよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
出エジプト記25 ~ 26、ヨハネの福音書12
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