23 そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。
第三次伝道旅行は、使徒18:23 ~ 21:17 に記録されている(紀元53 年の春から56 年の春)。最初パウロは、一人で出かけて行く。(1)彼は、第一次伝道旅行で立てられた諸教会(ガラテヤ地方とフルギヤ)を訪問する。その目的は、弟子たちを力づけるためである。(2)第三次伝道旅行の中心地はエペソである。この町は、小アジア全域に福音を宣べ伝えるための基地となる。ちなみに、第二次伝道旅行の中心地はコリントであった。(3)パウロは、伝道者、教師、牧師として奉仕し、その働きにはしるしが伴う。(4)パウロに対する敵対は、ユダヤ人からではなく、異邦人からやって来る。(5)パウロは、最後にエルサレムに上る。使徒21:18 ~ 28:31 で、パウロは逮捕され、ローマに行く。
「そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた」。(1)ルカは、アンテオケでのパウロの活動については報告していない。当然パウロは、宣教報告を行ったことであろう。アンテオケに戻って約6 か月で、彼は第三次伝道旅行に出かけることにした。紀元53 年の春、天候が穏やかになる季節である。(2)今回の伝道旅行の最終目的地は、エペソである。使徒18:20 ~ 21 にはこうあった。「(エペソ教会の)人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、『神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます』と言って別れを告げ、エペソから船出した」。エペソに行くのは、その約束を実行するためである。(3)第二次伝道旅行では、エペソに向かうことを超自然的に禁じられた。今回は、同行者なしに、単独でエペソに向かう。恐らくパウロは、旅の途中でシラスやテモテと再会することを期待していたのであろう。(4)「ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた」とあるが、これは、第一次伝道旅行と第二次伝道旅行での宣教地を再訪したということである。具体的には、デルベ、ルステラ、イコニオム、ピシデヤのアンテオケなどの町々である。彼は、弟子訓練を熱心に行った。これは、主に教師としての奉仕である。このようにして、徐々にエペソに近づいて行ったのである。
すべてのことに時がある。かつてはエペソに行くことを禁じられたが、今やエペソが宣教の中心地になる時が来た。神の時を見分ける人は幸いである。
きょうの祈り
天の父なる神さま。すべてのことに時があることを学びました。あなたの時を見分ける力を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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