19 彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じた。
20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、
21 「 神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。
22 それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。
第二次伝道旅行の旅程を振り返ってみる。①アンテオケからトロアスへの移動。②トロアスからマケドニア州(ピリピ、テサロニケ、ベレア)への移動。③マケドニア州からアカヤ州(アテネ、コリント)への移動。④これからパウロは、コリント→エペソ→カイザリヤ→エルサレム→アンテオケと移動しようとしている。アンテオケに着くと、第二次伝道旅行が完結する。
「彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じた」。(1)パウロの一行は、エペソに着いた。エペソはアジア州の首都で、巨大な港を有していた(エペソは、アジアとヨーロッパを結ぶ重要な港)。ケンクレアとエペソの間を往き来する船便が、エーゲ海では最も多かった。(2)エペソという町について学んでおこう。①前1044 年に建設された商業都市で、前4 世紀以降、ギリシア風都市となった(アレキサンダー大王と後継者たち)。②前2 世紀の終わりに、ローマが支配する都市となった。③大いに栄えた商業都市で、アジア州の首都となった。当時の人口は、20 ~ 25 万人であろう。④ユダヤ人にも寛容だったので、多くのユダヤ人が住んでいた。⑤魔術やオカルト的風習でも有名であった。世界の七不思議の一つアルテミス神殿があった。66m × 130m もある巨大な神殿で、アテネのパルテノン神殿の4 倍もあった。アルテミスは、多数の乳房を持った豊穣の女神である。⑥アジアにおける偶像礼拝と売春の中心地であった。地域経済も、アルテミス信仰によって潤っていた。(3)第二次伝道旅行の初期において、パウロはエペソを目差していたと思われる。しかし、御霊はパウロをトロアスに導き、そこからマケドニアに導いた。第二次伝道旅行の終わりに、パウロはエペソを訪問することができた。しかしこの訪問は、旅行の途中で立ち寄ったという程度のものであった。(4)プリスキラとアクラが同行していたが、彼らは、エペソで船を下りて、この町に数年間とどまることになった。最終的には、紀元57 年までにはローマに戻ることになる(ロマ16:3)。(5)ふたりと別れたパウロは、単独で会堂に入って行った。船が出帆するまでの空き時間を、伝道のために用いたのである。彼は、単独で会堂に入り、ユダヤ人のためのメシアについて彼らと論じた。寸暇を惜しんで、あらゆる機会を捉えて福音を伝えるパウロの姿勢から教訓を学ぼう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。時には限りがあります。あらゆる機会を福音のために用いることができるよう導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
出エジブト記 3~4、ヨハネの福音書 3
ハーベスト・タイムによる無料の聖書講解動画(音声)サイト。
最新のメッセージ
毎朝6時にきょうの【クレイ】が
あなたのLINEに届きます!
» 登録はこちら