12 ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、
13 「 この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています」と訴えた。
14 パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。「ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、
15 あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない。」
16 こうして、彼らを法廷から追い出した。
17 そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕らえ、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。
18 パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。
「パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった」。(1)第二次伝道旅行も終わりに近づいた。紀元52 年の秋、パウロはアンテオケ教会に帰ろうとした。①コリントの状況は、落ち着いてきた。②他の地区での伝道の時期が来た。コリントを去る理由は、以上の2 つである。(2)パウロは、ケンクレアの港(コリントの外港)から出発した。これは、シリアに向けた船旅である。(3)プリスキラとアクラも同行した。(4)シラスとテモテは、アカヤ(コリント)にとどまったと思われる。
「パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった」。(1)この行為の背景にあるのは、ナジル人の誓願である(民6:1 ~ 21 参照)。ナジル人の誓願を立てる人は、誓願の期間、ぶどう酒を控え、頭にかみそりを当てない。誓願の期間が終わると、神殿で頭を剃り、その髪をいけにえとともに燃やす。(2)パウロが立てていた誓願は、献身の誓願か、感謝(安全が守られたことへの感謝)の誓願であろう。パウロが採用した誓願の方法は、ディアスポラのユダヤ人の習慣に基づくものだと思われる。ディアスポラのユダヤ人たちは、エルサレムに上るための時間的、金銭的余裕がないので、エルサレムの神殿に行かないで生活の場で髪を剃り、それを燃やした。(3)ここでパウロは、モーセの律法を実践しているわけであるが、それは聖書の教えと矛盾したものではない。新約聖書が教える律法からの自由とは、ユダヤ人にとっては、守る自由と守らない自由を含む概念である。
これからパウロは、アジアに向かう。かつては、東からアジアに入ることは禁じられたが、今度は、西から入ることは許された。すべてのことには、神の時がある。今はできなくても、やがてできるようになることがある。また、今しかできないこともある。神の時を認識できる人は、幸いである。日々、デボーションを通して神との交わりを第一にする人は、神の時を感じることができるようになる。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。すべてのことには時があります。あなたの時を感じることができるよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
出エジブト記 1~2、箴言 4
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