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使徒の働き18:12 ~ 18

12 ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、

13 「 この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています」とうったえた。

14 パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。「ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、

15 あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない。」

16 こうして、彼らを法廷から追い出した。

17 そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕らえ、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。

18 パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆しゅっぱんした。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願せいがんを立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。

コリント伝道(10)

ガリオによる裁判の結果

ガリオは、ユダヤ人たちの訴えを却下した。その結果、どういう影響がもたらされたのか。(1)この裁判により、パウロが伝える福音は、ユダヤ教の一部であると認定された。つまり、キリスト教は公認宗教の一部であるという判断が下されたのである。(2)総督による判決は、ローマ帝国内のすべての総督の判断に影響を与えた。今で言う判例ができたということである。地方総督が出した判決は、長官(ピリピ)や役人(テサロニケ)の判決とは比較にならないほど重い。パウロは、7 年後にカイザルに上訴することになる。恐らくパウロは、パレスチナ在住のローマの行政官(地方総督)が、ユダヤ人の影響を受け過ぎていると感じたのであろう。使徒2511 でパウロはこう語っている(ユダヤ総督フェストに対して)。「もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します」。(3)ガリオの判決が出て以降、約13 年間にわたり伝道の自由が与えられた。紀元64 年、ネロはローマの大火をクリスチャンの仕業とした。それ以降、キリスト教への迫害が始まる。

ソステネのその後

(1)会堂管理者クリスポが、パウロの伝道によって救われた。信者となった彼は、会堂管理者の地位を追われた。(2)その後任になったのが、ソステネである。彼は、ベイマの前で野次馬やじうまたちによって打ちたたかれた。彼は、大変な目にったのである。その後ソステネがどうなったのかは、1 コリント1:1 を見れば分かる。「神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、・・・」。ソステネは、パウロの書記となって活躍している。彼は、苦難を通してキリストに出会ったのである。
苦難の意味を聖書的に理解する人は幸いである。苦難がもたらす祝福について、黙想してみよう。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。あなたは、いかなる苦難をも祝福に変えてくださるお方です。あなたを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

創世記 49~50、詩篇 7~8

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