29 そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。
30 神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。
31 なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」
32 死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言った。
33 こうして、パウロは彼らの中から出て行った。
34 しかし、彼につき従って信仰に入った人たちもいた。それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。
「そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません」。(1)パウロは、私たち人間は神の作品(神から出た者)なので、神を金や銀や石の像と考えるのは非論理的なことであると論じる。神は、物質を創造した霊的存在である。(2)ここでパウロが語っているのは、十戒の最初の2 戒である。①真の神以外の神を礼拝してはならない。②偶像を作ってはならない。(3)これは、アテネの人たちには相当ショッキングなメッセージである(ロマ1:22 ~ 23 参照)。
「神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます」。(1)かつての時代において神は、偶像礼拝の愚かさを見過ごしておられた。見過ごしておられたのは、許容していたということではなく、偶像礼拝を厳しくは裁かなかったということ、つまり、忍耐されたということである(使14:16 参照)。(2)福音が啓示された今の時代においては、神はすべての人に悔い改めを命じておられる。ここでの「悔い改め」とは、偶像から真の神に方向転換することである。もし信じないなら、その罪は、かつての時代の人たちの罪よりも大きい。福音を伝える側にも、より重い責任が課されるようになった。
「なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです」。(1)神がこの世界を裁く時が近づいている。神がこの世界を裁く基準は、神の義である。裁きの執行者は、「お立てになったひとりの人」、つまりメシアである(ヨハ5:22、1 テサ1:10 参照)。(2)裁きの時が近いという証拠がある。メシアは死んで復活された。メシアの復活は、この方を通した裁きの日が定まったという証拠である。裁きが行われるのは、メシア再臨の時である。(3)肉体の復活のメッセージは、ギリシヤ哲学と調和しない。ギリシヤ人たちは、理想的な状態は墓の向こう側にあると考え、肉体から抜け出したいと願っていたからである。また、個人的裁きも、彼らには受け入れ難い教えであった。
偶像礼拝の愚かさについて黙想してみよう。神を金や銀や石などの像と考えるのは、非論理的なことである。偶像を拝んでいる人たちの救いのために祈ろうではないか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。偶像に人を救う力はありません。一人でも多くの人が、あなたを知り、救いに至ることを願います。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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