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使徒の働き16:11 ~ 15

11 そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。

12 それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。

13 安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。

14 テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。

15 そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と言って頼み、強いてそうさせた。

ピリピ伝道(2)

ピリピ到着(12 節)

「それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した」
(1)ピリピという町の歴史を振り返ってみよう。42 年に、この近辺で大戦争が起こった。これは、アントニウスとオクタビアヌスvs. カシウスとブルータスの戦いであった。ちなみに、オクタビアヌスは後のアウグストである。この戦争の結果、ローマは共和制から帝政に移行することになった。(2)「ここは、マケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった」とある。マケドニアは、4 つの地方に分割されていた。これは、マケドニア人が一体化してローマに抵抗することを防ぐための方策である。ピリピは、その中の一つの地方における主要都市であった。42 年の戦争の後、ピリピはローマの「植民都市」(コロニー)となった。植民都市とは、軍事上の拠点となる地に設立された町である。まさに小ローマがそこに存在したということである。植民都市の住民には、ローマの市民権と税制上の特権が与えられた。新約時代におけるピリピの重要性は、以下のような点にある。豊かな農業生産、海路と陸路をつなぐ通商上の拠点、金鉱の存在、ローマの植民地としての地位、有名な医学学校の存在など。学者の中には、ルカはピリピの医学学校で学んだと主張する者もいる。もしそうなら、ルカがこの町を誇りとしていたことは理解できる。(3)使徒の働きでは、ピリピだけが植民都市と表記されているが、これ以外にも植民都市は5 つある。ピシデヤのアンテオケ、ルステラ、トロアス、コリント、トレマイ(プトレマイス)がそうである。植民都市に住むのは、ローマに住むのと実質的に同じである。(4)パウロの一行は、この町に幾日か滞在した。ピリピに到着したのは、週の早い時期であった。パウロは、安息日になってから行動を開始する。先ずユダヤ人に、次に異邦人にという原則を守るためである。それまでの数日間、町の調査や生活費稼ぎの仕事をしていたと思われる。
伝道の原則に飽くまでも忠実に動いているパウロの姿勢から教訓を学ぼう。使徒の働きは、生けるキリストの働きの記録である。主役がキリストであるなら、用いられる器(人間)は、キリストの方法で奉仕をする必要がある。私たちの伝道は、伝える内容と伝える方法が、神の御心に叶っているだろうか。自己吟味をしてみよう。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。あなたの御心に叶った働きができるよう、私を器としてきよめてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

歴代誌 第二17~18、詩篇141~142