19 そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。
20 ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。
21 昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」
ヤコブは、アモス書から引用し、メシア的王国が成就する前から異邦人が救われてもおかしくはないことを論証した。そして、こう結論づけた。「そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません」。ユダヤ人信者は、異邦人信者に割礼を要求してはならない。異邦人もまた、恵みと信仰によって救われる。これで教理的な問題は解決したが、ユダヤ人信者と異邦人信者の関係をどう維持するかという課題が残されている。
「ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います」。① 4 つの禁止令の内、3 つまでが食物に関することである。これは、食事の席でのユダヤ人信者との交わりを想定した結果である。②これらの禁止令は普遍的な命令ではなく、ユダヤ人信者と交流がある場合に実行すべきものである。③ 4 つの禁止令の背景にあるのは、在留異国人に関する命令である(レビ記17 ~ 18 章)。
(1)「偶像に供えて汚れたもの」。偶像に供えられた肉は避けるべきである。パウロが教えるキリスト者の自由は、この禁止令とは調和しない(ロマ14:20)。この禁止令は、特定の状況下で実行すべきものだということが分かる。(2)「不品行」。これは、唯一、食物に関係のない禁止令である。不品行は「ポルネイア」であり、幅広い言葉である。これは、性的罪のことではない。性的罪が常に悪であることは、改めて言うまでもない。ここでの不品行とは、レビ18:6 ~18 にある近親婚のことであろう。(3)「絞め殺した物」。絞め殺した物とは、血抜きをしていない肉である(レビ17:13)。(4)「血」。血を飲むこともユダヤ人にとっては忌むべきことである(レビ17:10 ~ 11)。彼らに不快感を与えないために、血は避けるべきである。ヤコブは、本質的な点では妥協しなかったが、そうでない部分においては、相手の立場を尊重するように勧めた。4 つの禁止令は3 回も出て来る(15:20、15:29、21:25)。
「昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです」。多くの町には、会堂があり、そこでモーセの律法が教えられていた。ユダヤ人たちは、モーセの律法をよく知っていたので、異邦人信者は、ユダヤ人信者の習慣や感じ方に配慮すべきである。相手につまずきを与えないために、自らの自由に制限をかけるという原則は、今も生きている。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。自由は隣人愛を基準に行使すべきことを学びました。御霊によって助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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