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使徒の働き14:24 ~ 28

24 ふたりはピシデヤを通ってパンフリヤに着き、

25 ペルガでみことばを語ってから、アタリヤに下り、

26 そこから船でアンテオケに帰った。そこは、彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。

27 そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。

28 そして、彼らはかなり長い期間を弟子たちとともに過ごした。

ペルガ、アタリヤ、アンテオケ

パンフリヤのペルガ、アタリヤ

「ふたりはピシデヤを通ってパンフリヤに着き、ペルガでみことばを語ってから、アタリヤに下り、」。(1)パウロとバルナバは、ピシデヤのアンテオケ経由で、パンフリヤのペルガに行った。前回の訪問では、ペルガでの伝道の記録がない。ペルガは、マルコの問題が出て来た町である。「パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った」(使1313)。今回は、「ペルガでみことばを語った」と書かれているので、この町で伝道したのである。(2)アタリヤはペルガに隣接する港町で、一行はここから船に乗った。

アンテオケ

「そこから船でアンテオケに帰った。そこは、彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった」。(1)パウロとバルナバは、ペルガから船に乗って、アンテオケに帰った。そこには、第一次伝道旅行の拠点となった教会があった。(2)彼らがなぜキプロス島に戻らなかったのかは分からない。恐らく、そこでは永続性のある教会が誕生しなかったのであろう。(3)アンテオケへの帰還は、紀元49 年の秋頃であろう。つまり、第一次伝道旅行を開始してから約1 年半が経過したことになる。
「そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。そして、彼らはかなり長い期間を弟子たちとともに過ごした」。(1)派遣教会に戻った彼らは、宣教報告会を開催した。彼らが報告した内容は、次の2 点である。神が彼らとともにいて行われたすべてのこと。異邦人に信仰の門を開いてくださったこと。(2)伝道旅行の間に大きな変化が起こった。リーダーがバルナバからパウロに変更になった。使徒の働きの記録は、パウロの活動が中心になっていく。キリスト教の中心が、エルサレム教会からアンテオケ教会に移行し始めた。パウロとバルナバは、宣教報告のためにエルサレム教会に上ってはいない。エルサレム教会は、異邦人教会の拡大成長にどのような反応を示すのであろうか。それが、次の大きなテーマになって来る。
私たちも時々立ち止まり、神の恵みの御業を思い出す必要がある。いかなる試練の中にあっても、主イエスは私たちと共にいてくださる。

きょうの祈り

恵み深い父なる神よ。いかなる試練の中でも、あなたは共にいてくださいます。きょうも、あなたを信頼しつつ、恵みによって歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ネヘミヤ記9~10、ヨハネの手紙 第二

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