1 イコニオムでも、ふたりは連れ立ってユダヤ人の会堂に入り、話をすると、ユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人々が信仰に入った。
2 しかし、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対し悪意を抱かせた。
3 それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語った。主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行わせ、御恵みのことばの証明をされた。
4 ところが、町の人々は二派に分かれ、ある者はユダヤ人の側につき、ある者は使徒たちの側についた。
5 異邦人とユダヤ人が彼らの指導者たちといっしょになって、使徒たちをはずかしめて、石打ちにしようと企てたとき、
6 ふたりはそれを知って、ルカオニヤの町であるルステラとデルベ、およびその付近の地方に難を避け、
7 そこで福音の宣教を続けた。
「ところが、町の人々は二派に分かれ、ある者はユダヤ人の側につき、ある者は使徒たちの側についた」。(1)ついに、町が分裂した。これは、パウロとバルナバの宣教が有効であったことのしるしである。福音は、聞く人を、光に付く人と闇に留まる人に二分する(マタ10:34 参照)。(2)異邦人たちは、不信仰なユダヤ人の側に付く者たちと、使徒たちの側に付く者たちに二分された。
「異邦人とユダヤ人が彼らの指導者たちといっしょになって、使徒たちをはずかしめて、石打ちにしようと企てたとき、」。(1)ついに迫害は危機的状況に至った。不信仰な異邦人、不信仰なユダヤ人、会堂のラビたちが一致してパウロとバルナバを迫害した。(2)彼らは、使徒たちを石打ちにしようとした。この迫害の首謀者は、ユダヤ人である。なぜなら、石打ちの刑はユダヤ的なものなので、ユダヤ人でなければ考えないからである。
「ふたりはそれを知って、ルカオニヤの町であるルステラとデルベ、およびその付近の地方に難を避け、そこで福音の宣教を続けた」。(1)イコニオムを去ったのは、知恵ある対応である。迫害は伝道のチャンスではあるが、それが危険水域に達した場合は、危険から身を避けることが知恵である。(2)パウロとバルナバは、ガラテヤ地方の別の場所に移動した。「ルカオニヤの町であるルステラとデルベ、およびその付近の地方」とある。つまり、小アジアの中央部に移動した。(3)二人は、そこで福音の宣教を続けた。①彼らの宣教の情熱は衰えなかった。②留まるタイミングと避難するタイミングをどのように判断すべきか。最終的には、聖霊の導きである。
(1)使徒14:4 でパウロとバルナバは「使徒」と呼ばれている。これは、12使徒以外の第2 グループの使徒という意味である。(2)使徒の資格は、復活の主と出会っていること(1 コリ9:1)、また、主から任命を受けて派遣されていることである。そのしるしが、主が彼らを通してなさる「しるし」と「不思議」である。2 コリント12:12 には、「使徒としてのしるしは、忍耐を尽くしてあなたがたの間で行われた、しるしと不思議と力あるわざです」とある。(3)ちなみに、新約聖書には一般の信徒たちが「しるし」と「不思議」を行っている例は出て来ない。(4)近年、使徒職の回復の教えが広まって来ているが、その教えは聖書的ではない。使徒の資格は、復活の主と出会っていることである。
きょうの祈り
父なる神さま。試練に直面する時には、留まるか、避難するかを正しく判断することができるよう、御霊によって導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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エズラ記5~6、ヨハネの手紙 第一1
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