29 そして、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちと語ったり、論じたりしていた。しかし、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。
30 兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れて下り、タルソへ送り出した。
31 こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。
サウロは、エルサレム教会の信者たちと自由な交わりを楽しみながら、同時に、ヘレニストの会堂に行って主の御名によって大胆に語った。「そして、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちと語ったり、論じたりしていた。しかし、彼らはサウロを殺そうとねらっていた」。(1)サウロが神学論争を繰り広げた相手は、ヘレニストのユダヤ人たちであった。実はこれは、ステパノの奉仕の継承である。ステパノはリベルテンの会堂の者たちと論争し、彼らを打ち負かしていた。(2)ステパノ同様、サウロも暗殺されそうになった。これは、3 年前の悲劇の再来である。またこれは、サウロに対する2 度目の陰謀である。
「兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れて下り、タルソへ送り出した」。(1)この陰謀の噂は、信者たちの耳に届いた。そこで彼らは、サウロを救出することにした。サウロも主イエスからの語りかけを受けたので、エルサレムから脱出することにした。使徒22:17 ~ 18 には、こうある。「こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、・・・主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです』」。(2)サウロにとって一番安全な場所は、タルソである。彼は、エルサレム→カイザリヤ→タルソへと移動した。タルソはキリキヤ州の州都で、サウロの出身地である。そこは、海路でも陸路でも、東西交易の要衝の地である。このタルソが、次の数年間(5 ~ 7 年)、サウロの伝道活動の本拠地となる。
「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った」。(1)これは、教会成長の報告の3 回目である(使2:47、6:7、9:31)。使徒の働きの中には合計7 回の成長報告が出て来る。ここでガリラヤが初めて登場する。福音は、文字どおりユダヤ(ガリラヤを含む)とサマリヤに届けられたのである。(2)ステパノの殉教から始まった迫害は、サウロのエルサレム脱出を機に一段落した。その結果、3 つのことが起こった。①教会は、平安を保った。②主への恐れと聖霊による励ましがあった。③信者の数が増えて行った。
私たちの人生においても、嵐の時はやがて過ぎ去り、平安と収穫の時が来る。私たちに必要なのは、主イエスを見上げ続ける忍耐心である。
きょうの祈り
天の父なる神さま。人生の嵐は一時的であり、平安と収穫の時が必ず来ることを学びました。主イエスを見上げて待つ忍耐を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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アモス書7~8、テサロニケ人への手紙 第一5
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