8 サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。
9 彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。
「サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った」。(1)サウロは地面から立ち上がった。馬は逃げていたが、同行者たちはものも言えず立っていた。サウロの目は、見えなくなっていた。(2)彼は、人々に手を引かれてダマスコに向かった。つい先程まで誇り高きパリサイ人であった彼が、哀れな姿になった。傲慢なサウロが砕かれたのである。この体験は、イエスのしもべとして召された者にとって必要なものであった。
「彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった」。(1)彼は、自発的に3 日間の断食を行った。通常の断食では食物だけを断つのだが、この時のサウロは水も飲まなかった。(2)この断食には、霊的な意味があった。①主を待ち望むための時間が確保できた。②断食の期間、肉の力によって築き上げて来たものが破壊されて行った。神の働きは、砕かれた魂とともに始まる。③サウロは、何が起こったのかを真剣に考えた。サウロは、改宗したのではなく、回心したのである。
先に進む前に、教会の本質について確認してみよう。イエスは、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」(使9:5b)と言われた。(1)イエスと教会は有機的に結びついている。教会は、キリストを信じる人々の群れであり、キリストのからだである。(2)教会がキリストのからだであるというのは、ルカの基本的な教会理解でもある。ルカの福音書は、イエス・キリストの次のことばを記録している。「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒む者です」(ルカ10:16)。(3)パウロも同じ教会理解を持っていた。「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです」(ロマ12:4 ~ 5)。「この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない」(エペ1:23 口語訳)
主イエスを信じる信仰によって義とされた私たちは、キリストのからだ(普遍的教会)の一部とされている。信仰の視野を広げ、世界に広がる普遍的教会の成長のために祈ろう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。私も信仰によって義とされ、キリストのからだに加えられました。この恵みに感謝します。どうか、御心によって導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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